晴耕雨読日記(仮)

以前、はてなダイアリーで書いていた「晴耕雨読」の引っ越し先です。今の生活は全くもって「晴耕雨読」ではないので、タイトルは現在思案中。

ほんのまくらフェアをちょっとだけ覗いてみた。

Twitterでも話題になった、紀伊國屋書店新宿本店の「ほんのまくらフェア」。

紀伊國屋書店で「本の闇鍋」フェア−人気ブロガーの紹介で話題に
http://shinjuku.keizai.biz/headline/1505/

私のTLでも話題になり、友人が新宿に出るので、とTwitterで話題になった数日後に立ち寄ってみたら、ほとんど完売だったらしい。が、増産して期間延長もすると。すごいぞ紀伊国屋書店。さすが、良化特殊機関から当麻先生を守った書店だ(違う)。
冗談はさておき。私も探している本があって紀伊國屋に行ったので、ついでにフェアも覗いてきました。

品切れになっている本もあったけど、何冊かは書棚にあるので近寄ってみる。
その本の書き出しの文章が、大きく印刷されているカバーに包まれた本が、シュリンクパックしてある。意外と厚手の紙を使っているのか、書名が透けて見えることもない。判じ物の世界(笑)。
その書き出しに心惹かれるかどうか、感性が合うかどうかが試されてる感じで、ちょっとわくわくする。

東京に来たばかりの頃、日曜日はよく、この紀伊國屋書店に来ていた。地方から出てきた私にとって、ビル丸ごと書店、なんて夢のようだった。どこかでお昼ごはんを食べてから、各フロアをじっくりと眺める。見るだけでも楽しい本の多いこと。背表紙のデザインやフォント、佇まいに引かれて手にとって、自分の思ったとおりの本だったときに感じる喜び。売り物だからちょっとずつしか立ち読みできないけど、紀伊國屋書店に一日いるだけで、ものすごくたくさんの情報を得て、多少は感性も磨かれた気がする。
稀少な本を探したり、探す時間があまりない時にはネット書店も便利なんだけど、本屋さんで本を探す行為そのものが私は好きなんだと思う。だからどうしても、昨今の「自炊」には踏み切れない。雑誌はいい。もともとスクラップしたりしてるから。でも本はダメだ……ギリギリ、「地球の歩き方」はいけるかも。あれは毎年新しい版が出るからかな。本は、単に情報が印刷されている紙の束、じゃないからなあ。紙質や紙の色、フォントの種類やインクの色、余白の大きさ、表紙カバーの肌触り……それらすべてを含めての本だと思うので、とても裁断できません……。装丁にこだわって編集の仕事をしている人も身近にいるしね。
なので、そういう本に出会える場を用意してくれている書店という場が、私は好きだ。
そして、ただ本を並べるだけじゃなく、いろんな出会い方を考えてくれる書店も好きだ。

ほんのまくらフェアには、実際の書き出しの文章が集められたフリーペーパーも置いてあったので、もらってきた。これって何の本だと思う?と相方とちょっとしたクイズ大会。
「これは『次郎物語』だと思う」
「これはSFだよね、きっと。日本のSF。カジシン?」
とかとか。
検索すればすぐにわかってしまうんだろうけど、それじゃつまらないので、フェアが終わるまでは我慢することにします。

「アルジャーノンに花束を」

演劇集団キャラメルボックスアルジャーノンに花束を」@サンシャイン劇場。2回目だけど、前回はイグニスキャストで、今回はアクアキャスト。イグニスはチャーリィが阿部丈二、キニアン先生が岡内美喜子、アクアのチャーリィは多田直人、キニアン先生は渡邊安理。

うちの相方的には、アクアキャストの方がよかったらしい。理由は、「チャーリィの傲慢さがより出ているから」。
「かしこくなりたい」と思って、手術を受けたチャーリィ。希望したとおり、彼はどんどん知識を身につけていくが、それと同時に「自分と同じ知識を身につけていない人」を見下していくようになる。心の成長が伴っていないのだ。何十もの言語が身についても、一日に何冊もの本が読めても、チャーリィはひとりぼっち。そしてますます傲慢になっていく。
……というチャーリィを、多田くんは熱演していたと思います。
でもやっぱりイグニスの方がよかったなー、と思うのはチャーリィとキニアン先生、の組み合わせとして阿部+岡内の方がしっくりくるからかもしれません。
チャーリィは確かに知的障害を持っていますが、子どもではない。「今度の誕生日が来たら33歳」の、立派な大人です。そしてキニアン先生も。「アルジャーノンに花束を」はわずかな時間ではあるけれども大人の恋物語でもあると思うので、その線だとイグニスの二人のほうが私は好きでした。

以下、雑感。

  • 冒頭ダンスシーン、フロントは大内・畑中で美しい。あつをさんのダンスは、どたばたしてなくて美しくて好きだ。
  • あと、ト書きの部分の朗読のところも、あつをさんのパートは心に染み入るのであった、特にラスト間際。
  • 阿部くんの、学会の議長の役。はっちゃけすぎでしょー(笑)。菊地警部かと思った。
  • チャーリィの母、ローズの坂口さん。痛かった……。どこか他人事の父親に比べるとやはり母親はいろいろな思いがあるんだろうなあ。叫ぶほど。辛い役だと思います。
  • 客席が号泣モードに入る中、いやまだ早いでしょとしれっと観ていたのだが、今回もやはりかじもんのパートでうるっと……。彼の演じるジョーはそもそもチャーリィをいじめていたはずなんだけど、退行してパン屋に戻ってきたチャーリィをバカにしようとした新入りに殴りかかるところ。ジャイアンっぽいっちゃジャイアンっぽいんだけど、彼もまた日々成長しているわけだ。途中のカフェのシーンで、やはり指摘障害のある青年を少しだけ演じていましたが、これもよかった。今の若手男子の中では、注目株だと思うの、かじもん。
  • 若手といえば、市川草太くんはいい感じに育ててもらってるねえ。なんだかんだで着々と経験を積んでいる気がする。
  • 今日は終演後、加藤さんがロビーにいた。何か最近お忙しそう。

次回のキャラメルは、「広くて素敵な宇宙じゃないか」3チーム公演。去年の「銀河旋律」もチームごとに違う芝居になってておもしろかったのですが、今回もなんだかおもしろくなりそうな気がします。

送り手と受け手

こういうことを言うと嫌われそうなんだけど、「感動をありがとう」という言葉が嫌いだ。
アテネシドニーの頃からだと思うんだけど、オリンピックでいい試合があると「感動をありがとう」とか言うようになった。いや、感動することは否定しない。私だって感動するもん。そんな機会があるかどうかはわからないけど、もしその選手にあったら「すごかったです、感動しました」とか言うかもしれない。
けど、「感動をありがとう」とは言わない。感動ってあげたりもらったりするもんじゃないと思うから。なんていうかなー、ありがとうって言えばなんでもいいわけじゃないでしょ、という気もある。本を読んで感動した、映画を観て感動した、芝居を観て感動した、という並びにオリンピックで感動した、は、もちろんアリだ。でも例えば作家や映画監督や俳優に直接思いを伝えられるチャンスがあったとして、「感動をありがとう」って言うかな。言わない気がするんだよね。

なでしこジャパンの決勝戦は見てないんだけど(寝てた)、「銀メダルでも立派だったおめでとう」という人に混じって批判する人たちがいるんだそうだ。わけわからん。それに対していろいろな意見があるんだけど、私はこの方のこの一言がいちばん心情的に近い。




北京五輪高速水着が問題になって世間が騒がしくなったときに、北島選手が着ていたTシャツに「泳ぐのは俺だ」って書いてあったのも、そりゃそうだよな、って思った。やらないやつは黙ってろとは言わないし、人それぞれ肯定的な意見も否定的な意見もあるだろうけど、当事者の思いが優先されるべきなんじゃないのか?

というようなことを思ったのは、有川浩さんの日記を読んだからである。

有川日記|『図書館戦争』実写化

図書館戦争」実写化のニュースを読んだ時、私が最初に思ったのは「うーん、ちょっといやかも」だった。
それは、実写化がイヤなのではなく、はたまたキャストが気に入らん、なのでもない。
主役二人のキャスティングを聞いて、「いやー……それは」と思ったのは、実写を観てしまうとその後、原作を読んでも全部彼で頭の中で動いちゃいそうだなと思ったから。逆に言うとそのキャスティングははまってるだろうと思ったということでもあるんだけど。
図書館戦争」は、何度でもするめのように味わえるシリーズ作品だと思っている。一読して、また頭から、わかっていても読める。なんというか、最後の大団円に向かって張り巡らされた伏線を何本発見できるかのゲーム感覚というか。あと、主人公たちの気持ちが変化していくタイミングを見つけていける喜びもある。で、そうやって読み進めながら、書いてないことも脳内補完していく楽しみもある。
そういう、私個人の「自分だけの喜び」の部分に、視覚情報を入れてしまうと喜びが減っちゃう気がしたんですよね。

で、次に思ったのは「じゃ、観なきゃいいんじゃん?」だった。
自分の喜びが文字情報を骨格としていて、枝葉の部分は妄想で補っています、ということなのであれば、枝葉を固定してしまう視覚情報は入れなければよろしい。それならこの遊びは続けられるし。
同じ理屈で、コミカライズとアニメも遠ざけてきた。コミカライズの場合は、その絵柄の好き嫌いがあるから、いつか読む機会があったら試してみますかぐらいに思っているが、アニメはいろいろ検索するとひっかかってしまい、ちらっと観てしまい、これはこれで別の萌え要素がある!ということでYoutubeノイタミナチャンネルで鑑賞中。ばかですね。

でも、アニメを見ているうちに、あ、原作とアニメは別に楽しめるんだなー、と何か納得してしまった。
なので、実写化もなんだかんだ観に行くんだろうなと思っている。

で。
有川さんの日記によれば、実写化のニュースに際して、激しく文句を言っている人たちがいるらしい。確かに検索すると、反対している人たちがいる。

いや、文句は言ってもいいんですよ?
この世には、なんで映像化しちゃったかなあ……とがっかりするような実写化作品も山のようにありますし。「あれは許せん!」とかいきまいたことも私だってある。
けどなあ。原作者に一言いわせるような激しい反応はしなくてもいいだろうと思うわたくし。

原作者が内容を吟味して、要は単なるネタ元としての扱いではなく、作品世界を尊重してくれる実写化だと思ってOKしてるんだから、なんの問題があるというのか。
いや、そりゃーね。気持ちはわかるんですけど。堂上教官や笠原を実写化してほしくないとか、ジャニーズがやっちゃうとジャニーズっぽくなっちゃうからヤダとか。私も思うことは思う。けど、じゃ観なきゃいいじゃん?としか言いようがない。観ないで、自分の楽しみを大事にすればいいんだから。
私個人としては、主人公の二人より手塚と柴崎のキャスティングのほうがよっぽど肝だと思うけどなー。柴崎をやれる女優がいるのか?笠原を演じるよりよっぽど難易度高いと思うんだけど。手塚もな。あ、あと小牧教官は堺雅人でお願いします。

小説は、作者のものだと思う。で、その作者がこれでみんなで遊ぼう、という感じの人(だと私は思った)で、アニメやDVDでいろいろ遊んで、今度は実写にしましょう、一緒に遊びたい人は遊んでね、ということだと思うんだけどなー。あの小説が嫌いな人もいるだろうし、そういう人は別のもので遊べばいいんじゃないかと思うんだけど。

余談。
今回の日記の中で、稲嶺指令は実写映画には出てこないんだなーとわかって、それだと結構話が変わらないか?と思う反面、ちょっと安心もした。原作ファンの多くは、稲嶺指令は児玉清さんだと思ってると思うから。
原作者本人が「バカですから」と言った笠原のことを「でも、彼女、とってもいい子よ?」と言った箇所は、涙なしには読めん……(文庫の2巻、巻末対談参照)。

シス・カンパニー「叔母との旅」@青山円形劇場

男優4人がくるくると役を入れ替えながら演じる、「叔母との旅」。再演。初演は2010年、同じ青山円形劇場で、出演者も演出家も同じ。
4人で20数人の登場人物をくるくると演じ分けていく芝居で、巧みなフォーメーションに見ているほうも組み込まれていく感じ。物語が進むにつれて、ドーパミンが放出されてくる。
とはいえ、基本の役は割り振られていて、
主人公のヘンリーは、感情によって浅野和之鈴木浩介が、
オーガスタ叔母さんは段田安則が、
オーガスタ叔母さんの召使というか年下の彼氏のワーズワース高橋克実が、
基本的には演じる。

オーガスタ叔母さんというのは、主人公ヘンリー(独身の50男。銀行を退職していて、庭のダリアの手入れが生きがい、という枯れた男)の母の妹で、物語はヘンリーの母の葬儀の後から始まる。
久しぶりに会ったこのオーガスタ叔母さんというのはぶっ飛んだ人で、ヘンリーの母は質素で堅実な人だったらしいが、オーガスタ叔母さんは70を超えているのに色も欲もまったく衰えていない、パワーが服を着て歩いているような人。この叔母さんに枯れた50男が全編通して振り回される話だ。

段田安則の、70代おばあさん演技がすばらしい。オーガスタ叔母さんは、わかりやすい「愛される老嬢」ではなく、山っ気があり、冒険心が旺盛で、ひとところに落ち着いて暮らそうなどという頭はなく、70を超えてまだ色気の枯れていない、他人事で見る分にはいいけど自分の叔母さんだったらメンドクサイ人だなと思わせる人なのだけど、この愛すべき、しかしメンドクサイおばあさんを段田安則が魅力的に演じているのがよい。オーガスタ叔母さんの魅力で引っ張る2時間。

円形劇場、という舞台の形を最大限に生かしたフォーメーションが素敵。
松村武って、いい仕事するよなー……。

「鎌塚氏、すくい上げる」

本多劇場にてM&O PLAYS「鎌塚氏、すくい上げる」。初日。

「完璧なる執事」鎌塚アカシの物語の続編。続編というか、今回は鎌塚氏の話というより、花房家令嬢花房センリの話、という感じだったなあ。
前回の「鎌塚氏、放り投げる」では、完璧なる執事、ベスト・オブ・バトラーとして名を馳せる鎌塚氏の屈折した過去についてのお話が面白かった。今回は、鎌塚氏の話よりも、貴族の娘以外の何者でもない満島ひかりと、出てくるだけで場をさらってしまう六角精児がよかったかなー。

でも、鎌塚氏の燕尾服姿は相変わらず素敵だったし、上見ケシキさんともどうも切れずにお付き合いは続いているっぽいし、きっとまた二年後ぐらいにシリーズ次回作が出てくるに違いない!と思いたい!
このシリーズは、私の三宅弘城の評価というか印象というか好き嫌いを180度ひっくり返させたものなので、私も大事に追っかけたいと思っています(三宅弘城に対する評価はその後、「鋼鉄番長」での橋本じゅんの代役に立ったことで、さらにうなぎ上りになったのであった。倒れる前のじゅんさんバージョンで観ていたので、あの芝居を5日間の稽古で上演再開にこぎつけたことがどんなにすごいことか、泣きそうになるくらいだったので。タイトルロールで、しかも新感線の中でもじゅんさん以外に出来る人いないだろ、って役だった)。

何の芝居を観るか?という時に、役者や劇団で選択することが多いけど、何人か、脚本家で選ぶ場合がある。三谷さんとか千葉雅子姉貴とか。倉持さんも、そう。でも、ホームグラウンドであるPPPP(ペンギンプルペイルパイルズ)はどうも観たことがないような気がする。
この人の芝居、好きだーと思ったのは、バンダラコンチャの「相思相愛」だったんじゃないかな。でも、その前にもG2の「開放弦」とか、AGAPE STOREの「仮装敵国」とかを観ていたようだ。あと、脚本じゃないけどダンダンブエノの「砂利」の演出は倉持さんだったらしい(坂東三津五郎が、いろんな意味ですごかった)。

そして今日もらったチラシに、衝撃の演劇ユニットの結成告知が入っていました。
村岡希美池谷のぶえ。ユニット名は「酒とつまみ」。この二人のTwitterを読んでいると「あー……、ね」とわかるけど、ちょっと笑った。旗揚げ公演は来年、倉持さんの作・演出だそうです。楽しみ。

※追記。今年の2月、PPPP本公演観てました!「ベルが鳴る前に」。

レモンライブ、意外と観てる。

LEMON LIVE vol.9 『Woo!!man』、紀伊國屋ホールにて千秋楽公演、観てきました。

男性6名、女性1名の役者が、シーンによって男役と女役を演じる。
……という設定だと、やっぱ植本潤様にかなう人はいないよなー……この中では。花組芝居のすごさをまざまざと感じたのでした。だって、ほんとに人のいいおばさんにしか見えないんですもん。あとわかったのは、岡田達也に女装は合わない(笑)。男役の時にやたらかっこよく見えるのは、おばさん役の時のおかしさが原因だと思う。(←ひどい言い方)
JUNE様は女形はもちろんいいんだけど、実は少年役もすごくすごくいいので、たまにはやってほしい。G2プロデュースの「止まれない12人」の少年はよかった……。

千秋楽だったのでカーテンコールで役者挨拶があったのだけど、Studio Lifeの松本くんが言っていた「Studio Lifeの真のトップスター(が、今日来てるんで)」というのが誰なのか気になる(笑)。が、言われたところでたぶんわからない。なぜなら、私が知っているStudio Lifeの役者は曽世さんと姜暢雄くんぐらいだから。私的には曽世さんがトップスターであってほしいんだけど。
あと、一度「くろいぬパレード」を観に行ってみようと思いました。

7月から8月にかけて

しばらく日記を書いていなかったわけですが、この間のトピックスといえば芝居を5本観たことと、福岡アジア映画祭に行ったこと。

なにわバタフライN.V.」は再演。初演も観ています。一人芝居だけど、一人でやってるように感じさせない技術というか芸が素晴らしい。戸田恵子は引き出しをたくさん持っている人だと思うし、その引き出しの中身をいろいろ見せてもらえるのが楽しいです。終演後、なぜか「HR」を観たくなってしまった。なんでだろう。久々に宇部さんを見たかったのかしら。

毎年夏のお楽しみ、「子供のためのシェイクスピア」は「ヘンリー六世」と「リチャード三世」。2時間ずつ別々にやりますが、ヘンリー⇒リチャードの順で観ていたので、話としてはわかりやすかったー。ヘンリーの方は初日で、山崎さんが体調不良で代役が立っていて、どうなることかと思ったけれどもリチャードまでには回復されていてまずは一安心。
この辺のイギリス史って本当に苦手で、二世なのか三世なのかさっぱりわからん!といつも苦々しく思っていたのですが、バラ戦争についてはちょっとわかった気になりました(笑)。

アルジャーノン。ねずみのアルジャーノンは筒井くんか!?とひそかに期待していましたが、残念ながらねずみ役はなし。この日観たのは、チャーリーが阿部丈二、キニアン先生が岡内美喜子のチーム(今回は主役二人がダブルキャスト)。
阿部丈二を私が初めてちゃんと認識したのは、キャラメル本公演ではなく若手公演の「橋を渡ったら泣け」だった。その時キャラメルには阿部くんが二人いて、もう一人の阿部くんはその後キャラメルを退団してしまったのだけど、阿部丈二という役者がキャラメルにいるということを記憶した最初の公演だったのだ。
その後硬軟取り混ぜていろいろ観てきたわけですが、このチャーリーはちょっとすごかった。「かしこくなりたい」と言っていたチャーリーがだんだんIQを上げていく姿が、段階的ではなくて曲線的に表現されていく。上りも下りも。最初はねずみのアルジャーノンに知能的に勝ち、次にキニアン先生を、それからバートを越え、ニーマー教授やストラウス博士も凌駕していって、チャーリーは誰も追いつけない一人ぼっちの世界に行ってしまう。厳しくて寂しい世界。彼はかしこくなりたいだけだったのに。そこから今度は、一度得たと思うものをどんどん失っていく人生が始まる。この間たったの半年。このすさまじい半年を阿部くんが演じきっちゃって、あーこの人どこに行っちゃうんだろう、と思ってしまった。まるでチャーリーみたい。ものすごいスピードで駆け上がってきている。

多田くんバージョンの方は、今週末観に行く予定。阿部くんのあんなチャーリーの後に多田くん、大丈夫かね?と言ったら相方が「いや、彼も『無伴奏ソナタ』をやりきったからね」。
うむ、確かにそうだ。楽しみにしていよう。

とはいえ実はチャーリーでは泣かなかった、圧倒されただけだった。ちょっとうるっと来たのは、鍜治本くんだった。くっそー、かじもんに泣かされる日が来ようとは……去年の「ナツヤスミ語辞典」くらいからちょっと彼に注目中なんです。いい人も出来るし、ちょっと嫌なやつもできる。振れ幅が大きそうなところに注目しています。

最後。月影番外地「くじけまみれ」。アングラ演劇って見たことないんですけど、こんな感じなんですか?
赤羽とか埼玉の人が怒るだろうと思う内容なんだけど、政岡泰志の出す変な汁にやられ、丸山厚人が放つ健康的なマッチョぶりにやられる芝居。「物語が、始まる」⇒「ジェットの窓から手を振るわ」と来て、3本目がこれ!聖子さんはどこに行くのだろう。いや、ついていくけどさ、ついてはいくけどね!