晴耕雨読日記(仮)

以前、はてなダイアリーで書いていた「晴耕雨読」の引っ越し先です。今の生活は全くもって「晴耕雨読」ではないので、タイトルは現在思案中。

香港返還から15年

近頃はとんと、中国要人ウォッチをさぼっていたのですが、香港在住の友人のつぶやきでこきんとうさんが香港に行っていたのを知りました。ああ、香港返還から15年。

山口文憲さんの「香港 旅の雑学ノート」をテキストに香港に足を踏み入れた世代なので、香港といえば英領香港であり、もちろん香港人にとってはいろいろ複雑な思いもあるとは思うんですが、あの頃の香港の雰囲気を愛しておりました。やっぱねえ、香港映画の警察モノは「皇家香港警察」じゃないと盛り上がらないと思うのよ。
返還行事は観に行きたかったけど諸般の事情で行けず、日本でテレビの画面に映る香港の様子をずっと観ていました。あ、あと、ニフティのフォーラムで、訪港中の友人たちが書き込んでくる現場情報を貪り読んでたな。

一国二制度だ、50年は香港は変わらないと言われたけど、どうなることやら。と思いつつ、あれから15年。人民解放軍が進駐してから15年。こういうことも行われるようになったようです。ジャパナビりえさんとこ(http://blog.livedoor.jp/japanavi/)経由で知りました。
同じ物が見つからなかったので、亜洲台のを。

……閲兵式……
あの蒸し暑い香港で、中山服をびしっと着込んだ国家主席。ご苦労様でございます。
「とんじめんはおー」を香港でやったのかあ……あれは長安街でやるパフォーマンスだと思っていました。でもパフォーマンスだからこそ、香港でもやるんだよね。着々と、中国になっているということを示さないといけないから。しかし、あれを初めて観ると、笑いがこみ上げてくるのはなんでなのだろう。

でもやっぱり国慶節の軍事パレードと比べると、気合いが入っていないのだった。たる〜んとしてるし。
背の高さや体型がそろっているのは、北京でやっても同じなので、特に香港が体型的に厳選されているわけではないと思われますが、どうなのだろう。

香港は、マカオに比べるとまだまだ反抗心の強い子らしく、しばしば比較されては嫌味を言われたりすることもありますが、がんばってほしいなー。

KOKAMI@network「リンダリンダ」@紀伊國屋サザンシアター

6月30日、ソワレ。
再演なのだけど、前回の記憶がまるでない。観終わった後も全然思い出せなかった。どうでもいいことは覚えていたんだけど。タイトルが「リンダリンダ」の割にはあの歌は一度も歌わず、山本耕史が「ドブ」の2音だけ歌ったこととか、見終わった後にどうにもブルーハーツが歌いたい熱がおさまらず、カラオケに行ったこととか。それ以外思い出せないので、初見状態。

開演前にOpusの「Live is Life」が流れて、ちょっと驚いた。第三舞台最終公演(「深呼吸する惑星」)の時でも流れなかったのに。鴻上さんは虚構の劇団でも、開演前はいつも決まった音楽を流している。そういうの、割と好きなのです。新感線のアレとか。


鴻上さんの舞台のお客さんは、ちょっと他の劇団とは違う。40代後半以上、それも男性が多いように思う。50代であろう男性がこんなに普通に客席にいる芝居って、多くはないんじゃないかなあ。鴻上さんと同世代の男性たちが、ずっと鴻上さんのやっていることを見守っているような。
虚構の劇団なんて、最初の頃は「鴻上さん、これってどんな実験ですか」とよく思ったものだが、その頃もなんだか熱い中年男性ファンが多かった。同世代を生きる者として、鴻上さんの作り続けるものをずっと観る、という腹をくくった印象を受けます。


世代がかなり違う、かつての運動家が現代の若者たちに反抗のやり方について伝える、という構図は「僕たちの好きだった革命」と同じもの。自分たちの失敗を繰り返させないように伝えるということは、つまりやり直したいということなんだろうか。
私たちの未来は、まだ明るいんでしょうか?鴻上さん。


土曜の夜なのに、後ろのほうの席が埋まっていなかった。当日券で行ける人はぜひ。
あ、虚構の劇団からいつものように(笑)、小沢くんと三上くん、あと大杉さんが出演していました。小沢くん、どんどん変な感じにうまくなっていくなー。

6月も最終日。

うわあい、あっという間に6月も最終日!
もう日記の書き方忘れてしまってるんじゃないでしょうか、ってくらいうまく書けなくなってますな。
会社の階段歩きながら、頭の中で文章組み立ててて、さあそのまま書こうと思うのだけど、だいたいそういうことを考えてるのって昼間なので、当然のことながらブログは書けないのだった。仕事中だし。


さて、ではこの半月を振り返ってみましょう。


▼6月14日 パルコ・プロデュース公演 三谷版「桜の園」@PARCO劇場
チェーホフはほとんど知らない(でも木場勝己の「ワーニャおじさん」はよかった。ロシアの色気あるおじさんっぷりが)し、「桜の園」と言われると吉田秋生を思い出すていたらくなのだけども。
とにかく、浅丘ルリ子がよかった。というか、この芝居は浅丘ルリ子を堪能する芝居だった。

主人公のラネーフスカヤ(愛称はリューバ)は貴族の奥様で、「桜の園」の女地主。かつては裕福な暮らしだったけれども、幼い息子を事故で失ってから、若い恋人と共にパリで暮らしていた。彼女の家はとうに没落していて、お金なんてどこを探してもないんだけど、乳母日傘で育った彼女には「お金がない」ということがどうもわかっていない。そうこうするうちに、ついに桜の園が売りに出されることになり、かつて農夫で今は商人のロバーヒンが桜の園を落札する。彼女の愛した桜の木々が切り倒される音がする中、ラネーフスカヤは桜の園を後にする……

この現実がわかっていないラネーフスカヤを浅丘ルリ子が演じると、なんというか現実離れしている没落貴族の女主人っぽくて、なんだか妙におかしい。浮世離れっぷりが味があるというか。
そしてなんといっても立ち姿が美しい。どんなにうちひしがれていても、背中から首、頭にいたるラインが美しい。背筋が美しく伸びていて、ドアを出て行って舞台からはけていく場面でも、ドアの向こうに消えていくまで目が追ってしまう美しさだった。
安城家の舞踏会」みたいな話だねえ、と言ったら相方が「だってこの芝居がモチーフだもん」ああ、なるほど。
藤井隆は、前回は倉持さんの「イロアセル」で観たけど舞台を重ねるごとに、うまくなってきている気がする。


▼6月23日 「薮原検校」@世田谷パブリックシアター

井上ひさし生誕77フェスティバル2012」と銘打って、今年は井上ひさし作品が8本上演される。私は1月の「11ぴきのネコ」に続いて2本目。主役の薮原検校は、野村萬斎
この薮原検校が極悪人なのだけれども、どこかかわいげがあって憎めないというか。悪賢いんだけど馬鹿で、極悪人なんだけど愛嬌があって。不思議な人物でした。狂言師としての野村萬斎の舞台を観たことがまだ残念ながらないのだけど、口跡の美しさというか、言葉という音声を自在に操っている人だなあ、と思わせるものがありました。すごい、うまい。
あと、秋山菜津子もお目当てだったんだけど、いや〜〜〜〜〜「年増の深情けとはこういうことか」と思わせる怪演だった。すばらしい。


芝居は江戸時代、盲人が大量出演ということもあって、これテレビでやるときは初めにテロップが出るんだろうなと思わせる放送コードにひっかかる言葉満載(笑)。でも、日本語って表現豊かな言語だなあと。あと途中で江戸の町名が続く台詞があるんだけど、なんでああいう情緒有る町名を根こそぎ捨ててしまったんだか。その町の名前には必ず由来があるのにね。
台詞がいくつもの意味をもって、頭の中にがんがん入り込んでくるような、そんな芝居でした。さすが日本語を熟知した井上ひさし

佐野元春 Early Summer Tour@Zepp Diver City Tokyo

先週の、横浜BLITZに引き続き、本日はお台場のZepp Diver City Tokyoにて。
ツアー詳細はこちら。
http://www.moto.co.jp/live/live_info/2012earlysummer/


先週は初日と言うこともあってか、今ひとつ声の伸びがうみゅ?という感じだったんだけど、今日は絶好調。曲数は2曲少なかったんだけど、すごくよかった。


お台場のZeppと言えば、Zepp Tokyoだったんだけど、ここは新しくできたところらしい。天井がすごく高くて、音もすごくいい。今日はPA席の近くにいたせいかもしれないけど、いい音だったなあ。演奏もよくて、音もよくて、いいライブだった。

演劇集団キャラメルボックス「容疑者Xの献身」

池袋サンシャイン劇場にて、6/2、ソワレ。今公演2回目。1回目は初日。
初演も観ていて、その時の感想はこちらに。→http://d.hatena.ne.jp/yizi/20090502#p1


今公演1回目は初日のソワレで、その時の感想は「うーん……献身じゃないよね」。
近江谷太朗は好きな役者だけど、なんか最後の感情爆発の場面で、ほとばしるタイミングが一拍はやくて、「ちょっと違う!」という感じだったのだ。途中、湯川(岡田達也)が何度も「あの天才石神が」って言うもんだから、天才数学者としての側面ばかり強くなって言ってしまって、献身というよりは天才数学者の完全犯罪、という感じになってしまっていた。
やっぱり西川さんの方がよかったのかなあ……と思っていたのだが、東京公演千秋楽前日のこの日は、ちゃんと献身だった。うん。
毎日同じ芝居をやっていても、どんどん変わっていくのってすごいねえ。
あと、この日は川原さんと筒井くんの絡みがとてもよかったのと、石原くんが自由な人になっていて、それが大変おもしろうございました。

お久しぶりの、ブログです。

もうここを覗いている人はいない気がするのですが、こっそり再開してみます。


ご存知のとおり、私の主たる現場(笑)はいまやTwitterとなっています。短い文章にまとめる、という意味ではTwitterはいい鍛錬の場なのです。話すときもそうですが、私はあまり端的に主張をまとめることが得意ではなく、だらだらと書いてしまうので。そういう中、140文字(リプライの場合は相手のIDも文字カウントに入るので、さらに短くなる)という制限の中でまとまったことを書くには、語彙の選び方や文章のつなげ方など、ものすごく考えをめぐらせます。それはそれで、すごくいいんですが、どう考えても140文字ではまとまらないものもあるわけで、それにはTwitterはあまり適さない。そういう時はブログとか、何か別の場だよなー、とはかねがね思っておりました。


あと、自分の日々のログを取っておきたいという希望もありました。日々、何を食べ、何を飲み、何を観て、何を考えたか。それについていちいち深く考察をしなくても、メモ書きでもいいから、記録を取っておきたい。


年齢を重ねてきて、どう見積もっても人生の半分は折り返している時期になりました。一生を一日に例えるなら、夕方が始まろうとしている頃です。一日一日、時間の過ぎ方が速い。一ヶ月などあっという間で、3日前のことすら覚えていないこともあります。
そういう中で、日々のことを簡単にでもいいから記録しておくことは、将来の自分へのメモというか、なんか大切なんじゃないだろかと。記憶するための記録ではなく、記録したら忘れて次の経験をするための記録。自分のために。


で、これまで私は、見たり聞いたりしたことをその日の日付で書くことに結構こだわっていたんですが、それはちょっとやめてみようかと思っています。いちいち日付を変えて書くのは手間もかかるので。あとから思い出したベースでいいじゃん、と。とりあえずこういうことがあったよー、というのをメモして残す。自分の中でいろいろ気持ちが盛り上がったものについては、長文で残す。
まあ、そんなスタンスで行ってみたいと思います。