晴耕雨読日記(仮)

以前、はてなダイアリーで書いていた「晴耕雨読」の引っ越し先です。今の生活は全くもって「晴耕雨読」ではないので、タイトルは現在思案中。

6月も最終日。

うわあい、あっという間に6月も最終日!
もう日記の書き方忘れてしまってるんじゃないでしょうか、ってくらいうまく書けなくなってますな。
会社の階段歩きながら、頭の中で文章組み立ててて、さあそのまま書こうと思うのだけど、だいたいそういうことを考えてるのって昼間なので、当然のことながらブログは書けないのだった。仕事中だし。


さて、ではこの半月を振り返ってみましょう。


▼6月14日 パルコ・プロデュース公演 三谷版「桜の園」@PARCO劇場
チェーホフはほとんど知らない(でも木場勝己の「ワーニャおじさん」はよかった。ロシアの色気あるおじさんっぷりが)し、「桜の園」と言われると吉田秋生を思い出すていたらくなのだけども。
とにかく、浅丘ルリ子がよかった。というか、この芝居は浅丘ルリ子を堪能する芝居だった。

主人公のラネーフスカヤ(愛称はリューバ)は貴族の奥様で、「桜の園」の女地主。かつては裕福な暮らしだったけれども、幼い息子を事故で失ってから、若い恋人と共にパリで暮らしていた。彼女の家はとうに没落していて、お金なんてどこを探してもないんだけど、乳母日傘で育った彼女には「お金がない」ということがどうもわかっていない。そうこうするうちに、ついに桜の園が売りに出されることになり、かつて農夫で今は商人のロバーヒンが桜の園を落札する。彼女の愛した桜の木々が切り倒される音がする中、ラネーフスカヤは桜の園を後にする……

この現実がわかっていないラネーフスカヤを浅丘ルリ子が演じると、なんというか現実離れしている没落貴族の女主人っぽくて、なんだか妙におかしい。浮世離れっぷりが味があるというか。
そしてなんといっても立ち姿が美しい。どんなにうちひしがれていても、背中から首、頭にいたるラインが美しい。背筋が美しく伸びていて、ドアを出て行って舞台からはけていく場面でも、ドアの向こうに消えていくまで目が追ってしまう美しさだった。
安城家の舞踏会」みたいな話だねえ、と言ったら相方が「だってこの芝居がモチーフだもん」ああ、なるほど。
藤井隆は、前回は倉持さんの「イロアセル」で観たけど舞台を重ねるごとに、うまくなってきている気がする。


▼6月23日 「薮原検校」@世田谷パブリックシアター

井上ひさし生誕77フェスティバル2012」と銘打って、今年は井上ひさし作品が8本上演される。私は1月の「11ぴきのネコ」に続いて2本目。主役の薮原検校は、野村萬斎
この薮原検校が極悪人なのだけれども、どこかかわいげがあって憎めないというか。悪賢いんだけど馬鹿で、極悪人なんだけど愛嬌があって。不思議な人物でした。狂言師としての野村萬斎の舞台を観たことがまだ残念ながらないのだけど、口跡の美しさというか、言葉という音声を自在に操っている人だなあ、と思わせるものがありました。すごい、うまい。
あと、秋山菜津子もお目当てだったんだけど、いや〜〜〜〜〜「年増の深情けとはこういうことか」と思わせる怪演だった。すばらしい。


芝居は江戸時代、盲人が大量出演ということもあって、これテレビでやるときは初めにテロップが出るんだろうなと思わせる放送コードにひっかかる言葉満載(笑)。でも、日本語って表現豊かな言語だなあと。あと途中で江戸の町名が続く台詞があるんだけど、なんでああいう情緒有る町名を根こそぎ捨ててしまったんだか。その町の名前には必ず由来があるのにね。
台詞がいくつもの意味をもって、頭の中にがんがん入り込んでくるような、そんな芝居でした。さすが日本語を熟知した井上ひさし