ドミニカ移民訴訟が結審
小さい頃、母に聞かされた話。
満州から引き揚げてきた母の一家は戦後、あまりにも貧乏なので移民しようかという話が持ち上がったことがあるのだそうだ。
行き先はたしかパラグアイだかコロンビアだかドミニカだったか。
ただ、当時小学生だった、母の弟(今、大阪に住んでいる。私は大好きな叔父だが、偏屈である)が猛反対してだめになった、と言っていた。
「あの時、行ってたらどうなってたかねえ」
と時々思い出したように話すのを聞いたことがある。
このニュースを読んで、その時のことを思い出した。
ドミニカ移民訴訟が結審 来日の原告「祖国とは…」
嶽釜さんは何度も来日し、政府に謝罪と補償を求めた末、提訴に踏み切った。国は「ドミニカ共和国政府が企画し、入植させた。日本政府への賠償請求は成立しない」と反論している。嶽釜さんは話す。「裁判で責任逃れする国の主張を聞けば聞くほど、祖国とは何なのかと思わざるを得ない」
叔父が反対しなかったら、母もこんな運命になっていたのだろうか。