晴耕雨読日記(仮)

以前、はてなダイアリーで書いていた「晴耕雨読」の引っ越し先です。今の生活は全くもって「晴耕雨読」ではないので、タイトルは現在思案中。

上々颱風シアターLIVE!@世田谷パブリックシアター

6月恒例の、世田谷パブリックシアターで行われる上々颱風シアターLIVE。
今回は11枚目のアルバムの発売記念大会(笑)。


ライブの途中に唐突に、子どもの頃のことを思い出した。
私の生まれ育った集落では、旧盆に盆祭りがあるのだが、その時、その1年間に亡くなった人を慰霊する祭壇が集会場に設けられるのだ。町内会のおじさんたちが遺影を借りて回っていたなあ。その集会場の前の広場に踊りのやぐらが設けられ、その周辺に夜店が出る。それを楽しみに行くんだけど、「まず仏さんにおまいりしてから。」と言われて、知っていようが知ってなかろうが祭壇に手を合わせていくのが礼儀だった。祭壇には老若男女の写真が飾られていた。おじいさんやおばあさんだけではない。働き盛りの年齢の人もいたし、私よりも小さな子どももいた。あの頃、生まれたばかりの赤ちゃんで、生きていく力がなくて生まれたけど亡くなってしまう、とか、小さい子どもでも不慮の事故で亡くなることも多かったのだ。


やぐらでは一晩中踊りの音頭が歌われるのだが、それは近所のおじさんたちなのだった。いつもは沖に出たり野良に精を出してる普通のおじさんたちなのだが、この時だけは太鼓と三味線と歌を一晩中。かっこよかったなあ。ゆかたで上半身はだけて、やぐらの下の樽酒をかっくらいながら一晩中踊りに身をやつすのだ。
子どもは9時までに帰されてしまうけど、うちの祖母は夜中踊りまくっていたようだった。蚊帳をくぐってふとんに入ってからも遠くから太鼓と笛の音がかすかに聞こえてくる。いつまで踊っているんだろう、子どもがいなくなった後、大人だけで何しているんだろう……と思いながらいつしか眠りについたものだ。翌朝ラジオ体操に行くときに祖母の部屋を覗いてみると、死んだようにぐったりと眠っている祖母がいた。毎年、そうだった。


……なんてことを、ふと思い出してしまった。上々颱風の音楽にはそういう、人が集まる場でやる音楽、という雰囲気がある。人が集まって酒が入って、ふと誰かが歌い出すとそこから音楽が始まる、というような。
私の子どもの頃の思い出の盆祭りは、今はもうない。区画整理で集会場はなくなってしまった。
だから私は上々颱風のライブに行きたいのかもしれない。