晴耕雨読日記(仮)

以前、はてなダイアリーで書いていた「晴耕雨読」の引っ越し先です。今の生活は全くもって「晴耕雨読」ではないので、タイトルは現在思案中。

「遺書―笑う乳がん闘病記」

遺書 笑う乳がん闘病記
著者は、田原総一朗氏の夫人。残念ながら炎症性乳がんで昨年夏に亡くなった。
たたかう乳がん患者、といえばまず思い出すのは千葉敦子さんだが、田原節子さんも自分の病気とまっすぐに向き合った人だ。


病と闘う、と口にするのは簡単だが、自分だったらできるか?と思うとかなり疑問である。
4年前、初めて手術を伴う病気をしたことがある。体の中にちょっとしたできものができたのが、会社の人間ドックの時に発見されたのだ。見てくれたお医者さんは、「なるべく早く、専門の病院で調べてくださいね、たぶん悪性のものじゃないと思うけど」と言いながら紹介状を書いてくれたのだけど、そこには「腫瘍の疑い」と書かれてあった。
それを見たとき、一瞬息が止まったかと思った。腫瘍?がん?……死んじゃうの?


それまで、「人間はいつかは死ぬ」ってもちろん思っていたけど、本当のところ、その言葉の意味なんてわかってなかったんだなー、と後から思った。死んじゃうかもしれないんだ、という気持ちでいっぱいになってしまい、その後どうしたかよく覚えていない。ただ、外に出たときに、空の青さがいつもよりも濃く、通りを走る車の音がいつもより大きく聞こえ、街路樹の緑が目に痛かった。五感がMAXまで振り切れてしまい、感情の制御がきかなかった。その後もお昼を食べながら感情がこみあげてしまい、たえきれずにお手洗いに飛び込んで大泣きしたりしていた。
結局のところ、悪性腫瘍でもなく、切れば治るような病気で済んだのだけど、それでもあの経験はちょっと忘れがたい。


人間は弱い、と思う。死に至る病であることを抱えて、どこまでその事実とつきあえるか、私だったら自信がない。がんとたたかう、と書いてしまえば簡単だけど、そんなに簡単にできることではないのだ。だから、「がんばれ」なんて気軽に言えない。病人ではないこちらがそう思ってしまう。


が、著者の田原節子さんは、できるだけ「病人」にならないように日々を過ごした。がんと共生する道を選んだ。病人らしくなるよりも、がんとうまくつきあいながら、寿命を延ばし続けた。最初に余命3か月と言われた人が、結果として5年以上人生を楽しんだ。
自分だったらどうだろうと思わずにはいられない、1冊でした。