晴耕雨読日記(仮)

以前、はてなダイアリーで書いていた「晴耕雨読」の引っ越し先です。今の生活は全くもって「晴耕雨読」ではないので、タイトルは現在思案中。

東京ファンタスティック映画祭

7時開演、というのにまたしても会社を出るのが遅くなってしまい遅れていったのだけど、最初はセレモニーをやっててくれたので、映画には間に合った(^-^;)


この映画祭も10年くらい通っているのだろうか(いつから行き始めたのか不明)、新宿でやるようになって3年目。ということは、いとうせいこうが仕切るようになって3年目なのか。
ググってみると、小松沢さんが病気で欠席したのが2001年。その年は欠席の状態でやっていたので、翌年からいとうせいこうになったのか。


東京で、小松沢さんを見なくなって、もう5年。
別にそのせいではないと思うけど、この5年、ファンタは私からは遠い映画祭になった。去年なんかついに1本も観なかったし。今年は久しぶり。1本だけど。
内容が薄くなったとかそういうことは感じないんだけど、ただ、パッケージが綺麗すぎて、違和感を感じるのだ。はっきり言えば、「私の知ってるファンタじゃない」という印象。


パンテオンの暑い暑い階段にずーっと並ばされて、みんなで階段に座り込んで濃い香港映画話にヨタを飛ばしながら、「もういいかげん仕切り方学べっつーの」とか文句を言い合っていたことを思い出せば、今みたいな指定席制度はとてもありがたいし、渋谷パンテオンが立て替えのため閉館になった後、同じような大スクリーンを持つ新宿ミラノ座を選んだことも、ファンの気持ちがわかってるなーと思うし。
でも、なんか、違う。それはたぶん、小松沢さんが仕切っているかそうじゃないかの違いじゃないかと思う。


小松沢さんは、「みんながいい子にしてくれてたら」とかよく口走って、「いい子とか言うんじゃねーよっ!」としばしばブーイングを食らっていたものだが(笑)、少なくとも、彼がやっていた頃のファンタは映画がもっと観客のものだった気がする。東京ファンタスティック映画祭は、ファンが熱気を盛り上げていくものであり、映画を持ってくるのは事務局側としても、観る側のエネルギーが参加しなくてはならなくて、しかもその観る側というのは用意された筋書きではなく、チケットを買って集まった人たちがてんでんばらばらに盛り上がっていくのがやがてひとつのうねりになる、というような。
で、小松沢さんに「泣け!」などと観客が言うわけだが(笑)。


今のファンタも筋書きとしては似てるんだけど、なんか、きれいにパッケージされた映画祭になっちゃった。うおー、とか盛り上がりも見せるんだけど、なんてゆーかサクラの匂いがするの。
例えば、昨日は「ファンタたき」という名前の、あれなんていうんだろ、プラスティックの、拍手するためのブツ。これで拍手して盛り上がって観てください、って言うんだけど、その人工的な音にすごく違和感を感じてしまったのだった。


小松沢さんは今どうしてるんだろう。ゆうばり?
うーん、やっぱゆうばりに、行かねばならんのだろうか……。