晴耕雨読日記(仮)

以前、はてなダイアリーで書いていた「晴耕雨読」の引っ越し先です。今の生活は全くもって「晴耕雨読」ではないので、タイトルは現在思案中。

「団塊ひとりぼっち」

香港好きでこの人の「香港 旅の雑学ノート (新潮文庫)」を読んだことのない人はいないと思う、山口文憲の新刊。

団塊ひとりぼっち (文春新書)

団塊ひとりぼっち (文春新書)

最近しばしば聞く「2007年問題」。IT系企業にいるとあんまり関係ないんですが(なんせみんな若いんで)、なんだか社会問題らしい。


団塊の世代」とよく言うけど、どの世代を指すのか正確には知らなかった。Wikipediaによれば、1947〜1949年生まれを指すらしい。昭和22〜24年ですね。なるほど。
私にとっては上司の世代です。少なくとも遠く離れた世代ではない。この世代のお説教をくらいながら成長して参りました(-_-;;)


ところでこの本を読みながらふと思ったのだけど、私、心情的に団塊の世代に近い気がする。世代的には団塊団塊ジュニアの間くらいなのだけれど。なんでだろう?としばし考えてみたのだが、たぶん、田舎に住んでいたからだと思われる。
今と違って、今からほんの20年くらい前までは東京と地方の文化の差は大きかったのだ。東京で流行するものが地方にまで届くのにはものすごく時間がかかった。映画だって、「スクリーン」や「ロードショー」で新作の情報を得てから実際に地元で見るまでに数ヶ月かかっていたのだ。
会社で私が子どもの頃の話をするとよく「葉月さん、いくつなんですか?それって戦後の話でしょ」とか言われることがある。ある意味、それは正しい。私が物心ついたときはまだ「戦後」だった。近所の家々の玄関には「英霊之家」という札が貼ってあったし、戦時中の話を語ってくれる「経験者」である祖父母たちも多かった(第一、若かった)。初めて見たテレビは白黒だったし、小学校に入った時に家に電話があったのはクラスの半分くらいだった。今みたいになんでもかんでも東京と同じ便利さを、みたいな風潮になったのは小学校の3年生ごろだったか、田中角栄が「日本列島改造論」を唱えてからだ。それまでの砂利道が、あっというまに舗装され尽くしていったのを覚えている。


そういう「心情的に団塊にちょっと近い」世代なので、この本に出ていることは意外と知っていたりする。リアルタイムの世代ではないが、かといって書物で知るという世代でもない。「あさま山荘」も「連合赤軍」も、「70年安保」も一応はテレビで見た記憶があるし、フォークソングは小学生でも歌っていた(かぐや姫吉田拓郎も小学生時代)。私が大学に入ったときには学生運動もすっかり落ち着いていたのでさすがに全学連だの全共闘は経験していないが、学生自治会というと学生運動をやってるんじゃないかと疑われたりする世代のしっぽの辺にいた気がする。私自身は自治会はやっていなかったが、「自治会はやるな」なんていう忠告をされた覚えがあるから。


山口文憲その人がベ平連に参加していたこともあって、70年安保あたりの話はさすがにおもしろいのだが、なんか話に親しみがあるのはなぜかなあ、とよく考えてみたところ、思い当たるふしがあった。「二十歳の原点」である。


二十歳の原点」「二十歳の原点序章」「二十歳の原点ノート」という高野悦子の残した3冊は、ませた女子高生の間で流行っていたのだ。高校3年の時の同級生など、彼女に憧れるあまり「京都の大学以外には行かない」と宣言し、本当に京都の大学ばっかり片っ端から受けて、某名門女子大学の短大部に進学した。で、毎月のように京都の学生生活について手紙をよこすのだが、ある日「“しあんくれーる”に行ってきた」という手紙をもらい、笑ってしまったことがある。「しあんくれーる」は京都河原町にあったジャズ喫茶で、高野悦子がしばしば通っていた店なのだ。高校卒業前、彼女が京都に行ったらやりたいことのリストの中に、しあんくれーるに行くことは確かに入っていた。「初志貫徹だなあ」と思ったな。


さて、2007年問題そのものは、団塊の世代が定年を迎えることでこれまでの技術やノウハウがすっぽ抜けてしまって、いろんなシステムの維持が難しくなること、なのだそうけど、みなさん60歳で定年を迎えてもう働かないのかなあ?意外と嘱託社員等で残るんじゃないでしょうか。みずほ銀行のシステムがダウンしたときの教訓があるから、そんなに簡単に放出されはしないのでは、と思うんですが。


それよりも、団塊の世代の退職金が狙われているのではないでしょうか(笑)。日経MJの推計では趣味や余暇にかかわる市場規模は5兆円と推測されているようですし。
そうやって考えてみると、ここ数年流行っている雑誌、「LEON」「サライ」「男の隠れ家」「日経おとなのOFF」なんてのは、このあたりのお金を狙ってのことなんでしょうかねえ。