晴耕雨読日記(仮)

以前、はてなダイアリーで書いていた「晴耕雨読」の引っ越し先です。今の生活は全くもって「晴耕雨読」ではないので、タイトルは現在思案中。

ホウ・シャオシェン映画祭「冬冬の夏休み」@シネマヴェーラ渋谷

1984年の作品。原題は「冬冬的假期」。98分。
先日の「HHH」でも、朱天文の子ども時代がかなり反映した作品だという話だったが、行ったことのない場所なのに「懐かしい」と思って画面に見入ってしまった。実は初見なのだ。


少年、冬冬は小学校を卒業して中学校に入るまでの夏休みを、妹とともに母の実家のある銅鑼で過ごす。母は重い病気にかかっていて、手術が必要なこともあり入院しているのだ。映画は、台北を発って銅鑼に着き、そしてまた銅鑼を発つまでの何日間かを淡々と映し出す。いくつかの、家族にとっては大きな事件もあるのだが、大げさに場を盛り上げたり、激しい感情が画面に踊ったりはしない。まだ幼い妹ですら大声をあげたりせず、祖母から「偏屈な子だね」と言われたりする。


映画の中に、韓子(ハンズ)と呼ばれる女性が出てくる。おそらくは精神薄弱者という役柄なんだと思うが、子どもたちからはからかわれたり避けられたりする女性だ。この女性が、冬冬の妹と心を通わせる。
そういえば、私の小さい頃にも、隣の家にやはり同じような境遇のお姉さんがいた。大人たちは「将来はどうするかねえ」とひそひそと話し合ったりしていたが、私たちには優しかったように思う。みかんや柿をもらったりした。
私が通っていた床屋のおじさん夫婦も聾唖者だった。小学生の頃なので、だいたいいつも同じ髪型だったし、意思疎通に困ることはなかった。私は静かに、髪をさくさく切っていくおじさんの手元を見ていたし、おじさんはいつもにこにこと鏡の中の私を見ていた。その後、美容院に行くようになって、美容師さんとの会話をめんどくさいと思ってしまうのは、この体験のせいかもしれない。
でも、そういういわゆる健常者ではない人は、どこの町にも普通にいたような気がする。


もう台湾でもあんな風景を見ることはむずかしいだろう。だいたい、台北駅のホームが映画では地上にあった。私が初めて台湾に行ったのは1997年で、もちろんすでにホームは地上になかったが、それより以前から行っていたうちの旦那さんも地上のホームは知らないのだそうだ。でも、台鐵の列車は今も同じ色の機関車だ。不思議。
映画を見ていたら、銅鑼に行きたくなってしまった。もうあのおじいさんの家はないのかなあ、と思って検索してみたら、ロケ地の写真を公開している方がいらっしゃいました。
亞細亞とキネマと旅鴉 様
 http://homepage.mac.com/xiaogang/taiwan/summerAtGrandpa/index.html
あー、台湾行きたい……