晴耕雨読日記(仮)

以前、はてなダイアリーで書いていた「晴耕雨読」の引っ越し先です。今の生活は全くもって「晴耕雨読」ではないので、タイトルは現在思案中。

ホウ・シャオシェン映画祭「フラワーズ・オブ・シャンハイ」@シネマヴェーラ渋谷

今回のプリントは、日本公開版とは異なるカンヌ映画祭での上映バージョンです、という告知は確かにシネマヴェーラのホームページにされていたが、開場30分前に着いて整理番号110番過ぎ。すいません、ナメてましたごめんなさい。そして、久しぶりに映画館の階段に座って映画を鑑賞しました。
原題は「海上花」、1998年、120分。


公開当時、ニフティのFMVASIAでは是非がまっぷたつに分かれた作品。というか、その頃の侯孝賢作品は必ず評価まっぷたつでしたけど。「好男好女」とか「憂鬱な楽園」とか。
「フラワーズ・オブ・シャンハイ」は「家具はいいんだけど」という感想をよく聞きました。インテリアはいいよねー、とか。
さて、私は8年ぶりにこの映画を観たわけですが、意外とよかったなあ、と思いました。
何がよかったかというと、カメラの視線かなあ。画面を美しく映し出す李屏賓マジック(笑)のすばらしさはともかく、カメラの視線が完全にそこに存在する人間のそれになっていて、その目で見ている私たちも映画の中にいるような気分になるのです。
例えば、最後の方で、シュウレンという若者がしょんぼりとカリーナ・ラウの部屋の窓辺に座っているのですが、その向こうから回廊を回って自分の部屋に向かうカリーなの姿が見え、はっと気づいたシュウレンがカリーナが入ってくる入口に目線を映していく、その目線の動きがワンカットで撮影されている。徹底してカットはワンカット。切り替えるときにはいったん暗転。この暗転がおそらく評価の分かれるところで、映画についていけない人は眠りの世界に誘われるきっかけになっている気はしますが、私は気にならないほうでした。


最近思うのですが、侯孝賢の映画は、その次の作品を見ないと、あるいはしばらく時間が経ってみないと今回の作品で何が言いたかったのかわからない気がします。
「憂鬱な楽園」を観たときは「なんじゃこりゃ」と思っていたのですが、後になってふと思い出してみると「あー、台湾らしい映画だなあ」と思えてきてちょっとびっくりしました。
そういう映画の評価は分かれると思うけど、この人はそういう作家なんじゃないかなあ。


ところで、この映画の後、市山尚三氏(この映画のプロデューサー)+羽田美智子嬢(主演女優)+宇田川幸洋氏(映画評論家)によるトークショーが行われました。というか、あれたぶん構成考えてないですね、適当にしゃべってた感じがありました。が、それなりにおもしろかった。
トニー・レオンが酔っぱらうとカリーナに「あたしはあんたのママじゃない!」と怒られていたという話は笑えた。その現場をその場で観られたということがうらやましい(笑)