晴耕雨読日記(仮)

以前、はてなダイアリーで書いていた「晴耕雨読」の引っ越し先です。今の生活は全くもって「晴耕雨読」ではないので、タイトルは現在思案中。

医療について思うこと

この間、実家に帰ったりしていました。夫婦喧嘩ではありません(笑)。実家の母が3度目の入院をしたためです。あれ、4度目だったかな?母は長くおつきあいしている病気があって、最初の発覚から数えるともう18年経っていて、10年生存率とか考えたら優秀な患者さんだったのですが、この1ヶ月で急に悪化。覚悟の上で帰省したところ、病院にいた母は拍子抜けするほど元気でした。
再発後からずっとかかっていた病院は主治医の先生がとてもいい方で、我々姉妹の素人くさい質問にも丁寧に答えてくださるかたでしたが、その先生も病を得られてお亡くなりに。あとを引き継いでくださった先生は……結果として、やる気がなかったんじゃないの?と思わざるを得ない方でした。2週間前、急に容態が悪くなった母を連れて妹が病院に行ったところ、本人もいる場所で「最後はどうされますか」と言ったそうです。


言い方があると思うのですよ。


確認したい内容はそうかもしれないけど、呼吸困難になって痛みがきつくて、もうこのまま死んでしまうのか……と思っている患者に向かって、そういう言い方をする医師。デリカシーがなさすぎる。もっと命に執着してほしい。生きていればいいということではなく、患者はどうしたいのか、もっともっと聞いてほしい。
妹はその場で「セカンドオピニオンを聞きに行きたいんです」と言ったところ、紹介状は書いてくれましたが、「まあ気が済むんだったら」というような態度だったらしい。彼女は憤慨して翌日、わりと評判のよい別の病院へ。そこの医師は丁寧に話を聞いてくださったのだけども、やはりもう緩和ケア病棟に入ることを進められました。そのエリアでいちばん満足度が高いといわれる病院への紹介状をその場で書いてくれ、またしても翌日紹介された病院へ。そして、そのまま即日入院となりました。


私が帰省したのは入院した翌日でした。空港からレンタカーを借りて(本当に、車の免許を取っておいてよかった!)、病院に行ったところ、母は穏やかな表情でした。私が聞いていた症状では「息が苦しくて歩けなくなっている」「ほとんど横になっている」「痛みがきついらしい」だったのですが、私の顔を見ると「あら、あんたこんなとこまで来てもらって悪いわねー」。
「元気そうやん?」
「そうね、昨日まではもうほんとに苦しかったんやけど、うそみたいに楽になった」


母と、後で妹から聞いた話では、薬の量が痛みの強さにまったくあっていなかった、とのことでした。きちんと診断して、適量を処方することで、驚くほど楽になったと母は言います。
「ここ、緩和ケア病棟じゃない?ここにいる人で退院してやろうと思ってるのって、お母さんくらいだと思うよ」といたずらっぽい目をして笑う母を見て、「間に合ってよかった……」と心の中でため息をつきました。


母は、もう少し我慢して、本当にもうだめになったらその時はあきらめて入院しようと思っていたようです。でも、病院の先生は、緩和ケア病棟に入るなら体がまだ動かせる今のうちに入院してくださいと言いました。動けなくなってしまってからだと普通の病棟になってしまうと。
確かに、いろいろなチューブにつながれた状態であるなら、緩和ケア病棟の意味はあまりないんだろうな、と思います。私たちは、何本ものチューブを挿入されて、器械で生命を維持するような状態になるまで母に痛みを我慢させるつもりはありませんでした。もう18年も我慢してきたのだから、最後にそんな母の尊厳を傷つけるような終わり方はしたくありません。


入院した翌日、その前の1ヶ月はほとんど食べられなかったという食事も完食し、自分の衣類の洗濯や入浴なども自分で行えるようになった母を見ていると、間に合ってよかった、と思う気持ちと、すんでのところで危ういところだったというひやひやした気持ちとがないまぜになって、なんとも落ち着かない、笑い泣きみたいな気持ちになります。母は今、「もう少し生きよう」という希望を胸に持って生きています。私たちは母の病気が完治することを望んでいるわけではありません。ただ、病気とうまく付き合いながら、なるべく痛みでつらい思いをしないように、最後の日まで母が自分の生きたいように生きてくれることが望みなのです。


QOL、ってそういうことじゃないんでしょうか。


母は、先週末に一時退院。今は妹の家で過ごしています。実家に帰りたがっているようなので、今週末は私が帰省して連れて帰ることにしています。母は自分のことはある程度自分でできるとは言え、炊事とか掃除とかは無理なので。これからしばらくは、ちょこちょこと帰省する日々が続きそうです。