晴耕雨読日記(仮)

以前、はてなダイアリーで書いていた「晴耕雨読」の引っ越し先です。今の生活は全くもって「晴耕雨読」ではないので、タイトルは現在思案中。

「Orzボーイズ」「追憶の切符」@アジアフィルムフェスティバル

NHKが毎年この時期に渋谷でひっそりと(笑)やっている、アジアフィルムフェスティバルで2本観てきました。


「Orzボーイズ(原題:囧男孩)」。台湾インディペンデント映画としては記録的な大ヒット中、の作品なのだそうです。

台湾の、とある小学校に通う悪ガキ二人組は、あんまり悪さが過ぎて「うそつき1号」「うそつき2号」という名前で呼ばれているのだけど、この子たちの本名は最後まで出ず、家族であるおばあちゃんも「二号!」とか呼ぶ始末。二人のたわいない毎日を描いているようでいて、実はこの二人を取り巻く環境は幸せな子供とは言い難いものがある。二号は漢方薬屋を営む祖母と暮らしているが、両親は祖母に預けたまま子供を顧みていない様子。一号は心を病んだ父親と川べりの家で暮らしている。「ハワイの母さんからいいもの送ってきたんだ」と言う台詞が何度か出てくるが、たぶん母親はハワイにはいない。
空想の世界に自分を飛ばしてしまうのは、たぶん小学生のころ誰でも一度は経験したことだと思うし、そのための準備をしたことだってあると思う。私もした(笑)。なのでこの二人の行動は身に覚えがあるというか、観ていてちょっと心がざわつく。二号の方が弟分というかちょっと幼くて、それゆえに周囲に大騒ぎを起こしてしまったり誰かを傷つけてしまったりするのだが、この辺観ていてうちの甥っこを思い出してしまった。
終映後、一号くんと二号くんが監督、プロデューサーと登場。一号くんは13歳で二号くんは10歳なんだとか。この時期の3歳差って大きいなあと、二人の様子を見ていて思う。一号くんは将来ハンサムくんになりそう。


二本目は「追憶の切符」。原題は「車票」。台湾の李家同という大学教授の書いた掌編小説が原作なのだそうだ。

主人公の女性、ユートンは北京のテレビレポーターで、生まれる前から心臓疾患があることがわかっていてそれでもなお出産しようとする若い夫婦の取材をしている。ユートンは幼い頃雲南省の山奥にあるカトリック修道院の前に捨てられ、その修道院のシスターに育てられたという経歴を持っている。そのシスターが倒れたという知らせが入り、幼なじみのジーシュエンと帰郷する。
一時は持ち直したシスターだが、やがて亡くなる。亡くなる前にシスターはユートンに、彼女が捨てられていたときにくるまれていた布と、そのときに乗ってきたらしい汽車の切符を渡し、生みの親への手がかりだと伝える。ユートンは生みの親などどうでもよい、育ててもらったシスターこそが自分の親だと頑なに主張するが、やがてジーシュエンとともに生みの親をさがす旅に出る。


冒頭の、生まれながらにして心臓疾患を持つ子を産もうとする若夫婦の他に、自閉症の子供とその父というのが出てくる。ユートンの親探しの旅につきあってくれる(というか後押ししてくれる)ジーシュエンも、実は4歳の時に交通事故で両親を亡くしておばあさんに育てられているという設定で、ユートン自身、「障害があるとわかっているのにどうして産むのか」という思いを消せないまま取材に当たっていたりして、「親子の正常形」みたいなものにものすごくこだわっているところがある。その心境がどう変化していくかを追っていく物語だった。


どんな親子にも事情がいろいろあって、それでも愛はある、って感じですかね。その辺を押しつけがましくなく淡々と描くのは、さすが張之亮監督だと思いました。変に感動的な話にしたり、「泣けー!」と言わんばかりの音楽がかかったりとかしないところがよい。


原作は台湾の話っぽかったので、そのままやればよかったんじゃ?とも思ったけど、台湾で作っちゃうとマーケットとして狭くなっちゃうのかな。雲南という場所はよかったとは思うけど(もともと雲南省はかなり早くからカトリックの布教がなされていた地域だし、違和感はなかった)、風景に圧倒されるというか、たとえばユートンとジーシュエンの二人がやりあっているシーンでも、背景の雲南省雄大な風景がものすごくインパクトがあって、人物が負けちゃうと言うか風景が勝っちゃうと言うか、そういう印象を持ちました。なんというか、ちょっともったいない感じ。


終映後のティーチインでは監督と主演女優の左小青が登場。左小青は完成作品を通しで観たのが初めてだったそうで、ものすごく興奮しながら登場しました。観てる方は「きれいな風景だねえ」で終わるけど、作ってる側としては大変だったろうなあ、と思われるロケ地なので、そりゃ興奮するであろう。
監督の話にはレスリーの話も出て、「流星語」の時は香港のアート系映画が危機的状況だった時で、レスリーは自分のギャラはいらないと言って出てくれた、彼のような人があの映画みたいな役柄を演じてくれたことはすごいことだ。「追憶の切符」においても、セシリア・イップ(葉童)が老けメイクで演じてくれた、普通女優は老け役はいやがるものだが、快く受けてくれた彼女にも感謝したい、というような話でした。
それは監督のお人柄でしょう、とみんなが納得するくらい、丁寧な話っぷりでした。あー、やっぱり張之亮はいいなあ。「女ともだち」がその後上映されないことは本当に悲しいことです。(東京国際レズビアン&ゲイ映画祭とかでやってくれないだろうか)