晴耕雨読日記(仮)

以前、はてなダイアリーで書いていた「晴耕雨読」の引っ越し先です。今の生活は全くもって「晴耕雨読」ではないので、タイトルは現在思案中。

欠けていくピース

この週末、叔父が亡くなった。
年末に末期の肝臓がんが見つかり、もう抗がん剤を投与しても間に合わないかもしれない、このままだと余命2ヶ月ですと言われたとのことで、金曜日に見舞いに行くために夜行列車に乗ろうとしていたところで訃報を受け取った。


叔父は私の父の妹の夫にあたる人で、私とは血縁関係はなかったけれども、かわいがってもらったと思っている。大阪に長く暮らしていた叔父たちは定年退職の直前に下関に帰ってきて、うちの実家からバスで5分くらいのところに家を建て、生活をしていた。私たちの結婚式の時にも来てくれたし、母の葬儀の際もよくしていただいた。
母の四十九日の時に、若干足が弱っている風だった叔父を見て、私たち姉妹は叔母に「おじちゃん、大事にしてあげてよね」とかわるがわる声をかけた。叔母は「もう年なのよ」と笑っていた。


1月最初の週、うちの父の法要のために帰省した際に、入院中の叔父の見舞いに行ったが、そのときはぐっすり眠っていて、ちょっと起こすに忍びなかったので「お見舞いに伺いました。また来ます」というメモだけ残して病院を後にしていた。生きている叔父に会ったのは、あれが最後だ。


1週間前に生きていた人が、今日はもう冷たくなっている。ほんの少し前に言葉を交わしたのに。
そういう思いをするたびに、こんなのはいやだ、次はちゃんと間に合うようにしようと思うのに、また間に合わなかった。それが悲しい。


結局見舞いに帰ったそのまま実家に残り、通夜・告別式と手伝うことになった。少し時間ができたので、家で母の荷物の整理を少しだけした。
もう写真はほとんどチェックしたと思ったのだけど、見ていなかった束が出てきた。それは妹の結婚式の写真。
あー、こんな頃もあったんだなあ、と思いながら一枚一枚見ていたのだけど、ある写真を見て、なんだか虚を突かれてしまった。


それは、披露宴の前、神前での結婚式の時のスナップ。新婦側の一列を写したものだった。母、私、大阪の叔父(母の弟)と叔母、いとこのひろくん(母の兄の息子)、そして、千葉の叔母(母の妹)夫婦。みんな笑いながら前の方を見ている。確か指輪の交換の時に、新郎がうちの妹の指輪をはめようとしてどっちがどっちだかわからなくなったようなそぶりをしたあげくに、妹の右手にはめてしまったのだ。「そっちじゃないよ〜」「逆、逆」「まあ、いいか。後で言えば」というような会話をみんなで笑いながら小声でした覚えがある。そんな雰囲気が映し出されている写真。
でもそこに写っている母と千葉の叔父は今はもういない。叔父は一昨年、母は去年逝ってしまった。こんな風に親族が少しずつ欠けていく年齢になったのだと、しみじみ思う。叔父や叔母、いとこと顔を合わせるのも今では誰かが亡くなったときのことが多い。


切ないよなー。
何が切ないって、どんなに頑張ったところでこの流れは止められないことだ。
ひとには寿命があって、それが尽きる日は必ず来るのだから。


いつ死んでもいいように、毎日を一生懸命生きようと思っても、日々の煩雑さに流されてしまう。
そして、忙しさにかまけて「また次の機会に」と流してしまう。次の機会はもう一生で二度とないかもしれないのに。
自分でも学習しないよなあ、と思う。
何度も同じ後悔を繰り返している。


そんなことを考えた週末だった。