晴耕雨読日記(仮)

以前、はてなダイアリーで書いていた「晴耕雨読」の引っ越し先です。今の生活は全くもって「晴耕雨読」ではないので、タイトルは現在思案中。

ここではないどこかへ。

旅が好きか、と聞かれれば、好きだと答えるが、自分はけっして旅人とか旅マニアではないと思う。旅に関する本は好きだが、では「深夜特急」のような旅がしたいかと聞かれたら、その答えは「ノー」だ。私には、日常生活として旅を続けるスキルはない。お金で買った安全の中でちみっとした冒険を楽しむのがせいぜいだと思う。


うちの妹は20年前の北京に1年間留学していたが、留学当初から上級クラスに入ってしまうようなレベルだったせいか、学校生活も楽しみつつ、ちまちました休みを作っては中国国内をあちこちと旅行していた。ちょうどその年は六四(天安門事件)のあった年で、混乱の中やっと帰国してきて母は「もう絶対に出さない!」と息巻いていたのに、1ヶ月もすると「北京に帰る」と言い出した。
「え、まだやばいんじゃないの?」
「うーん、でも旅行の予約しちゃってるんだよねー」
「旅行って、あんたどこに」
「新彊」
「……」
そして本当に7月の終わりには北京に戻ってしまい、8月には新彊へ。9月の半ばまで私の手元には新彊ウイグル自治区のあちこちからの絵はがきが届いた。休みの日には、畳一枚の大きさの中国の地図(・・・・・・というものを私もまた持っていた)を広げて、赤鉛筆で丸をつけたりした。
図書館でシルクロードに関わる本を借り、彼の地に思いを馳せつつも、そこはあくまでも想像の世界で自分が行くところではなかった。
妹は北は内蒙古から南は海南島、東は黒竜江省(東か?)から西は新彊まで、旅をしまくった。硬座の寝台で眠っていると中国の人が寄ってきて、耳元で「……日本鬼子」とささやかれたりしたこともあったようだが、そんなことで怯むような人間でもなかった。


そんな人に比べると、私の旅などささやかなものである。しかも私はあちこち出かけない。行く場所はほぼ決まっていると言ってもいい。前のパスポートなどほとんど香港と台北のスタンプしか押されていなかった。その合間を縫うようにして北京とソウルが2回くらい、それになぜかカナダのスタンプがこっそり押されていたが、とにかく圧倒的に香港と台北だったんである。何十カ国もの渡航歴がある人たちに比べると、旅好きだというのもはばかられるくらいだ。
では、なんで旅に出たがるのか?というと、それは自分でもよくわからない。ただ、時々「ここではないどこか」に無性に行きたくなるのだ。しかも国外。イミグレを通過する、という行為が大事。国内旅行もいいけど、それはやはり日常の続きの匂いがする。パスポートに出国スタンプをぽんと押してもらったときに何かスイッチが切り替わるのだ。ADSLモデムだって通信速度が落ちてきたり不安定になったりすると電源を入れ直すではないですか。あんな感じです(たとえが意味不明)。


本日読了した奥田英朗の「泳いで帰れ」の最後の数行を読んで、そんなことをつらつら考えていました。

 旅の経験は、心の中で推敲される。大半の出来事が忘れ去られ、ほんの少しの出来事が記憶として残る。そして残った記憶は、ときどき湧き出ては、わたしの退屈な日常を励ましてくれる。私は旅に生きる人間ではない。居場所は変わらない。旅することで日常に耐える人間だ。

私も、旅することで日常に耐える人間だと思う。一度リセットすることで数ヶ月もつのです。そして次の旅に行くことを考えて、また数ヶ月生きていく、ということの繰り返し。ガイドブックは帰ってきてからの方がよく読む。あとは現地で買ってきた地図を飽かず眺める。
そうやって、日常をやり過ごしています。

泳いで帰れ (光文社文庫)

泳いで帰れ (光文社文庫)

あ、ちなみにこの本は、アテネオリンピック観戦記です。