晴耕雨読日記(仮)

以前、はてなダイアリーで書いていた「晴耕雨読」の引っ越し先です。今の生活は全くもって「晴耕雨読」ではないので、タイトルは現在思案中。

卒業式

姪が中学を卒業するので、卒業式に出席した。
妹夫婦はそれぞれが同じ市内の公立中学の教員で、しかも二人とも3年の担任をもっており、同日に開催される卒業式には出席できない。
母が存命であればきっと出席したに違いないだろう、と思ったので、不肖ワタクシが代理で出席してきました。母と妹の代わりに。


週の初めに降った大雪の名残が、まだあちこちに残ってはいたが、当日はいい天気。
……だったのだけど、さすが盆地、体育館に1時間半は寒かった……。大学時代を過ごした町だったのでわかっていたはずなのに、うっかりしてました。寒いんですよ、あそこは。式の最後の頃、父兄のみなさんが鼻をぐすぐすさせていたのは、感動していたのか単に冷えのせいなのかは不明(笑)。


式辞や祝辞ではしきりと「義務教育の修了」について触れられていた。まあ、こどもが行かなければならないというよりは、保護者が子女に教育を受けさせる義務がある、なんで、どちらかというと保護者に対して「国民の義務を全うされてお疲れ様でした」というべきなんじゃないか?と思ったり。

第二十六条  すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
○2  すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。



まあ、明日からの人生は周囲の義務としての通学ではなく、自分の意思で選択した進路である、ってことですかねえ。


確かに、9年間学校に通わせるということは大変なことだ。
自分で育てたわけではないが、この世に生まれて3日後に対面して以来、折に触れて成長を見守ってきたあの小さな女の子が、もう15歳かーと思うと気が遠くなりそうだ。
その間、妹の家には二人の弟が生まれ、一人は2ヶ月も早く生まれてしまったがために、若干の障害をもってこの世にやってきた。そして、あまり家事や育児に参加しない父親の代わりに、祖母たるうちの母親と二人がかりで子供たちを育ててきた。その間、家を建ててローンに追われたり、末っ子の障害克服のための長期にわたる訓練通院があったり。そして、孫の成長を何よりも楽しみにしていた母は、姪が中2の時にこの世を去った。それまでなんとなくふわふわしていた姪が、なんだか急にしっかりしはじめたのは、母の葬儀前後のことだったように思う。


今日のこの日に、母は誰よりも立ち会いたかっただろう、と思う。
母の人生は身近な目標をひとつひとつ達成しながら生きていく、という感じだった。私たち姉妹はちょうど3つ違いだったので、私の高校受験と妹の小学校卒業、私の大学受験と妹の高校受験が同じ年にあり、その後は妹の大学受験、私の大学卒業、妹の大学卒業、そしてそれぞれの結婚、というのがどうも母の節目節目だったように思う。3年ごとくらいにやってくるそれらの節目(まあ、私の結婚はかなり遅かったですが)までを頑張って、達成感を味わいながら生きていたように思う。だからきっと今母がこの世にいたら、誰よりもあの子の中学卒業を喜んだんじゃないかな。母にとっての初孫であるのだから。


そんなことをつらつら考えながら、目の前で粛々と進む卒業式を見ていました。


うちの姪は意外とけろっとしていたというか、学校全体としてひとつの節目という雰囲気がなく、なんかいつもの学校行事〜、という感じ。最近の子ってみんなこうなの?と思ったけど、妹の学校では先生も生徒も号泣だったらしいので、学校によるみたいですね。
本当に、粛々と進んだという印象でした。


なんにせよ、卒業おめでとう。