晴耕雨読日記(仮)

以前、はてなダイアリーで書いていた「晴耕雨読」の引っ越し先です。今の生活は全くもって「晴耕雨読」ではないので、タイトルは現在思案中。

「中国嫁日記」

中国嫁日記 一

中国嫁日記 一

20代のある時期、6年弱ぐらい、外国人に日本語を教える仕事をしていた。当時は「偽装難民」という言葉があるほど中国(特に福建省)から町の日本語学校に大量の就学生が押し寄せてきていて、いちばんすごいときは毎月のように新入生が来ていたこともあった。もちろん台湾や香港、韓国、マレーシアなどからの学生もいたので中国人ばかりではなかったが、私の人生においてあれだけたくさんの中国人に接していた時期はない。

「中国人」とひとくくりにしてしまうとあまりいい印象にならないのだが……若くてそのうえ童顔だったので、よくおじさんおばさんたち(40代の生徒さんだってザラでした)にはからかわれていたし、どんなに教室では中国語を話すな!と言ってもどこ吹く風だし、他の国の人と折り合いが悪い人はたくさんいたし、じゃ同じ中国人なら仲良くやるのかというとそうでもないし、まあ大変でした。
でも一人一人はみんないい人たちだった。「国に帰ってきたから」といっておみやげをくれたり、誕生日だと聞きつけてお祝いを言ってくれたり、母が入院したために少しお休みをもらったときは「先生のお母さん、大丈夫ですか」と声をかけてくれたり。たまにクラスでご飯を食べることがあれば、「先生はこちらの席に!」と上座を仕立ててくれたり、お皿に食事をとってくれたり。
特に男性の生徒さんはやさしい人たちが多かったように覚えている。まあ当時は一応20代女子だったからかもしれないんですけども。

この本の元となったWebコミックは読んでいて、不思議に思ったのはみんな月さんが大好きなこと。ネット上には中国や中国人に対するあまりプラスとは思えない感情が渦巻いているのだけど、「月さん」に対してはみんなが好意的。そこで描かれている彼女が人として可愛いというのはもちろんあるだろうけど、彼女は「月さん」であって「中国人妻」として捉えられているわけじゃないからなんだろう。うまく言えないんだけど。

別に中国人に限ったことではなくて、「中国人」「日本人」「韓国人」「アメリカ人」という集合名詞で括ってしまうと何か変なレッテルを貼ってしまいがちな気がする。うそではないけど最大公約数的な見方をしがちというか。「日本人は内向的」という見方があるとして、山田さんと佐藤さんと鈴木さん全員が内向的か?というとそんなことはないはずなんだけど、一人一人は全然違っても3人まとまるとそうなってしまう、ということはあると思う。それで「内向的」というレッテルを貼られるが、日本人は内向的でも山田さんと話してみると全然内向的じゃない、ということもある。

「中国人」も同じようなもんだと思う。中国人ひとりひとりとあの国の政府は別物だし。ただ、一般の日本人が普通に暮らしていて中国人と知り合うことはそう多くない。東京は人が集中しているからそう思わないかもしれないけど、例えば私の実家のある街は中国との間にフェリーの定期便があったりするが、街を歩いていて中国語が聞こえたという経験をしたことはない。
だから、そんな人たちも月さんを知ることで、中国人にもいろいろな人がいるんだ、日本人と同じように感じるんだ、日本人とはこんなところで感覚が違うんだ、世界は広い、と思えたらいいなーと思う。