晴耕雨読日記(仮)

以前、はてなダイアリーで書いていた「晴耕雨読」の引っ越し先です。今の生活は全くもって「晴耕雨読」ではないので、タイトルは現在思案中。

送り手と受け手

こういうことを言うと嫌われそうなんだけど、「感動をありがとう」という言葉が嫌いだ。
アテネシドニーの頃からだと思うんだけど、オリンピックでいい試合があると「感動をありがとう」とか言うようになった。いや、感動することは否定しない。私だって感動するもん。そんな機会があるかどうかはわからないけど、もしその選手にあったら「すごかったです、感動しました」とか言うかもしれない。
けど、「感動をありがとう」とは言わない。感動ってあげたりもらったりするもんじゃないと思うから。なんていうかなー、ありがとうって言えばなんでもいいわけじゃないでしょ、という気もある。本を読んで感動した、映画を観て感動した、芝居を観て感動した、という並びにオリンピックで感動した、は、もちろんアリだ。でも例えば作家や映画監督や俳優に直接思いを伝えられるチャンスがあったとして、「感動をありがとう」って言うかな。言わない気がするんだよね。

なでしこジャパンの決勝戦は見てないんだけど(寝てた)、「銀メダルでも立派だったおめでとう」という人に混じって批判する人たちがいるんだそうだ。わけわからん。それに対していろいろな意見があるんだけど、私はこの方のこの一言がいちばん心情的に近い。




北京五輪高速水着が問題になって世間が騒がしくなったときに、北島選手が着ていたTシャツに「泳ぐのは俺だ」って書いてあったのも、そりゃそうだよな、って思った。やらないやつは黙ってろとは言わないし、人それぞれ肯定的な意見も否定的な意見もあるだろうけど、当事者の思いが優先されるべきなんじゃないのか?

というようなことを思ったのは、有川浩さんの日記を読んだからである。

有川日記|『図書館戦争』実写化

図書館戦争」実写化のニュースを読んだ時、私が最初に思ったのは「うーん、ちょっといやかも」だった。
それは、実写化がイヤなのではなく、はたまたキャストが気に入らん、なのでもない。
主役二人のキャスティングを聞いて、「いやー……それは」と思ったのは、実写を観てしまうとその後、原作を読んでも全部彼で頭の中で動いちゃいそうだなと思ったから。逆に言うとそのキャスティングははまってるだろうと思ったということでもあるんだけど。
図書館戦争」は、何度でもするめのように味わえるシリーズ作品だと思っている。一読して、また頭から、わかっていても読める。なんというか、最後の大団円に向かって張り巡らされた伏線を何本発見できるかのゲーム感覚というか。あと、主人公たちの気持ちが変化していくタイミングを見つけていける喜びもある。で、そうやって読み進めながら、書いてないことも脳内補完していく楽しみもある。
そういう、私個人の「自分だけの喜び」の部分に、視覚情報を入れてしまうと喜びが減っちゃう気がしたんですよね。

で、次に思ったのは「じゃ、観なきゃいいんじゃん?」だった。
自分の喜びが文字情報を骨格としていて、枝葉の部分は妄想で補っています、ということなのであれば、枝葉を固定してしまう視覚情報は入れなければよろしい。それならこの遊びは続けられるし。
同じ理屈で、コミカライズとアニメも遠ざけてきた。コミカライズの場合は、その絵柄の好き嫌いがあるから、いつか読む機会があったら試してみますかぐらいに思っているが、アニメはいろいろ検索するとひっかかってしまい、ちらっと観てしまい、これはこれで別の萌え要素がある!ということでYoutubeノイタミナチャンネルで鑑賞中。ばかですね。

でも、アニメを見ているうちに、あ、原作とアニメは別に楽しめるんだなー、と何か納得してしまった。
なので、実写化もなんだかんだ観に行くんだろうなと思っている。

で。
有川さんの日記によれば、実写化のニュースに際して、激しく文句を言っている人たちがいるらしい。確かに検索すると、反対している人たちがいる。

いや、文句は言ってもいいんですよ?
この世には、なんで映像化しちゃったかなあ……とがっかりするような実写化作品も山のようにありますし。「あれは許せん!」とかいきまいたことも私だってある。
けどなあ。原作者に一言いわせるような激しい反応はしなくてもいいだろうと思うわたくし。

原作者が内容を吟味して、要は単なるネタ元としての扱いではなく、作品世界を尊重してくれる実写化だと思ってOKしてるんだから、なんの問題があるというのか。
いや、そりゃーね。気持ちはわかるんですけど。堂上教官や笠原を実写化してほしくないとか、ジャニーズがやっちゃうとジャニーズっぽくなっちゃうからヤダとか。私も思うことは思う。けど、じゃ観なきゃいいじゃん?としか言いようがない。観ないで、自分の楽しみを大事にすればいいんだから。
私個人としては、主人公の二人より手塚と柴崎のキャスティングのほうがよっぽど肝だと思うけどなー。柴崎をやれる女優がいるのか?笠原を演じるよりよっぽど難易度高いと思うんだけど。手塚もな。あ、あと小牧教官は堺雅人でお願いします。

小説は、作者のものだと思う。で、その作者がこれでみんなで遊ぼう、という感じの人(だと私は思った)で、アニメやDVDでいろいろ遊んで、今度は実写にしましょう、一緒に遊びたい人は遊んでね、ということだと思うんだけどなー。あの小説が嫌いな人もいるだろうし、そういう人は別のもので遊べばいいんじゃないかと思うんだけど。

余談。
今回の日記の中で、稲嶺指令は実写映画には出てこないんだなーとわかって、それだと結構話が変わらないか?と思う反面、ちょっと安心もした。原作ファンの多くは、稲嶺指令は児玉清さんだと思ってると思うから。
原作者本人が「バカですから」と言った笠原のことを「でも、彼女、とってもいい子よ?」と言った箇所は、涙なしには読めん……(文庫の2巻、巻末対談参照)。