晴耕雨読日記(仮)

以前、はてなダイアリーで書いていた「晴耕雨読」の引っ越し先です。今の生活は全くもって「晴耕雨読」ではないので、タイトルは現在思案中。

PARCOプロデュース「クレイジーハニー」@パルコ劇場

久しぶりの本谷有希子。前回の「甘え」以来なので1年以上ぶり。
終演直後は「どうしたもんだろなー」……という考えが頭をぐるぐると回っていた。
本谷有希子がわかりやすい芝居を書いてくれるとは到底思ってはいないのだが、最後がわかんなかった。
理解しなくていいんだろうけど。
これについてはこれ以上書けそうにない。最前列で観たせいもあって、毒気に当てられたのかもしれない。

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追記:(2011/08/16)
何がこんなにひっかかるのか、このエントリをあげた時点ではうまく言葉にできなかったのだけど、昨夜相方と飲んでいて少しとっかかりが見つかったので、忘れないうちに書いておく。
これまで私が本谷有希子に持っていたイメージは、「ひとが隠したいと思っていること、無意識のうちに隠蔽していることをわざわざ露呈する話を書く人」だったと思う。なぜそこまで露悪的になる?と思いつつも、目を離せないというか。
今回の話はちょっと方向性が違う。行き詰っている作家とそのファンの関係。自分勝手なファンの言い分も、突破口が見えなくてじりじりしている作家のふるまいも、別に珍しくないというかある意味よくある話だ。特にネット時代になってからは。まああそこまで極端な例を実際知っているのかといわれると困るんだけど、類型化された関係ではあると思う。
それを延々観ながら、この話はどこに着地するんだろうと思っていた。そしたらああいう終わり方だったので(すみません、まだ公演中なのでネタバレは控えます)、なんか気持ちの持っていきようがなかったというか。自分の不幸を重ねるだけ重ねてより先鋭的になるしかないということなのか、見たくないものは見ず、聞きたくないものは聞かないで自分の信じるものをつきつめようという話なのか?
本谷有希子が、何かをつきつけてきているんだけど、私にはまだその「何か」が見えていない。