晴耕雨読日記(仮)

以前、はてなダイアリーで書いていた「晴耕雨読」の引っ越し先です。今の生活は全くもって「晴耕雨読」ではないので、タイトルは現在思案中。

ドライブないちにち

今週はへとへとの1週間。怒ったりなだめたりすかしたり。
来週はさらにへとへとになるであろう。案件が目白押しなのに加えて、今年の業績目標設定面接をやらねばならない。この面接が大変なんである。ガス抜きだったり説教だったり。ちゃちゃっと決めて終わりたいもんだが、1年後にその目標で評価を行わねばならぬことを考えるとそう適当にも作れないし。
あ。自分のも作らないといけないんだった。これもしんどいなあ。


そんなわけで(どんなわけで)今週はあまり日記も書けず。
昨夜は部署の歓送迎会で日付変更ぎりぎりまで遊んでいたにもかかわらず、今朝は普通の時間に目が覚める。眠い。が、ここで寝ると今日一日また寝て過ごしてしまうので、頑張って起きた。
出かける旦那さんを送って国立まで。ふと気が向いてそのあと一人ドライブ敢行。
特に行きたいところがあったわけではないのだけど、地図を見ているうちに「……小諸でそば食べようかな」という気になり、中央道から小海線沿いに北上して小諸へ。


野辺山付近はいまが春の終わりみたいな感じ。気温が低いのはもちろんだが、春の花がぶわっと咲いていた。
小海線沿い、白っぽい花をつけている木が多い。何の花かよくわからないのだが、たぶん馬酔木ではないかと思う。漢字の字面から、馬が食べられる程度の高さの木なのかと思っていたのだけど、背の高い木がたくさんある。他では見られない風景。


ところで、小諸というとどうしても島崎藤村の「千曲川旅情のうた」が思い浮かぶと思うのだが(小諸城趾にも藤村記念館があった)、城内に若山牧水の歌碑があった。牧水は小諸の病院に数ヶ月滞在したことがあり、その時に作った歌らしい。


かたはらに 秋草の花 かたるらく ほろびしものは 懐かしきかな


芭蕉の「なつくさや 兵どもが 夢のあと」を思い出させるうたですが、このころ牧水はいろいろつらいことがあったらしい。
私にとって牧水というのは近代版大伴旅人、みたいな印象でした。酒と旅が大好きな歌人。ただ、旅人はれっきとした官僚であり、和歌は今で言うなら出張報告というか公的書類というかそういう「ツール」としての側面もかなりあったであろうと思うのだが、牧水にとっての短歌は旅人にとっての和歌とは違っていたんじゃないかなと。
「さびしい」という感情を短歌に表すのは牧水がいちばんだと今でも思っている私です。


小諸からの帰り道、軽井沢へ向かう道の途中、追分を通過。
追分には油屋という旅館があって、立原道造がしばしば滞在していた。
世の文学少女の多くが通過する詩人のうちのひとりだが、私も例に漏れず中学・高校時代は立原道造フリークでした。堀辰雄は別に好きではなかったけど。「銀座」とか「ソネット」(←漢字で「十四行詩」と書いてカタカナでルビを振るのである)とか「ヒヤシンス」とか「追分」と聞くと即座に立原道造を今でも思い出すのだ。よほど強力に刷り込まれているらしい。
今日は時間がなくて立ち寄れなかったけど、今度はゆっくり追分も訪ねてみよう。


かげった陽の射す高校の図書室で立原道造を読みふけっていたとき、「追分」という地名はまるで外国みたいだった。それは、「行くあてがない、自分の人生においてそこを訪ねる可能性が考えられない」という意味でそうだったんだけど、あれから数十年経って車で通過するとは人生おもしろいなあ。もし、女子高生の頃の自分に会うことができるのなら、「あんたの人生、むっちゃおもろいよ」と言ってやりたい。