晴耕雨読日記(仮)

以前、はてなダイアリーで書いていた「晴耕雨読」の引っ越し先です。今の生活は全くもって「晴耕雨読」ではないので、タイトルは現在思案中。

小松沢さんふたたび。

なんか最近のワタクシの論調だとまるで小松沢さん擁護者のように見られてもしょうがないと思うのですが、久しぶりに小松沢さんがニュースに登場。


ゆうばり映画祭の小松沢陽一さん PiFan開幕式で功労賞

ゆうばり映画祭はまだなくなったわけではありません。私は今でも希望を持っています。夕張市民とともに映画祭の再建に向け努力します」

また、映画祭にも寿命があるというのが小松沢さんの持論だ。昨年廃止された東京国際ファンタスティック映画祭などを例に挙げ「映画祭も観客の嗜好に合わせて変化することができなければ生き残れない」と強調した。

ゆうばりファンタの運命はまだわからないし、実際問題として財政破綻した市に援助をしてもらうわけにはいかないだろう映画祭が成り立つのかというと、それも難しいと思う。


映画祭、ってなんでしょう?
私にとって映画祭は、ふつうのロードショーでは観られないような映画を見に行く、という場所なので、昨今の東京国際映画祭のように映画祭の翌月にはロードショー公開が決まっているような作品がかかるとちょっと辟易してしまうわけだ。
人によっては、安く映画を観たいから、とかそういう理由もあると思う。また、地方都市の場合はいろいろな映画を観られるチャンスであるというのもあるかもしれない。
でも、そういう状況は最近かなり変化してきている気がしする。地方だってシネコンが増えてきたことによって観られる映画の本数は増えてきたんじゃないかなあ?


私が映画祭に行くようになったのは、なんといっても普通なら観られない香港映画が観られるから、という理由だった。
香港映画を観るようになったのは1990年前後からだが、その当時、香港で公開されていた映画の本数と日本で公開される香港映画の本数は天と地ほどにも違っていたような気がする。1本でも多くの香港映画が観たくて映画祭に行くようになった。
当時は海外旅行に行くにも代金は高かったし、情報といえば「シネシティ香港」で手に入れるミニコミ誌(「電影風雲」とか「電影城市」とか「HOPPY」とか。←あ、これは違う?)しかなかった。特に「電影風雲」は一度買うと舐めるように隅から隅まで何ヶ月も読んでいた気がする。


……なんて思い出してみると時代は変わったなあと思う。
何よりも、海外は15年前に比べるとずいぶんと行きやすくなった。自分が年を取って若い頃に比べればお金に余裕が出てきたことも大きいが、それにしても値段だけでなく、ビザが不要になった、ツアーじゃなくても行きやすくなった、その町の情報を得やすくなった、など行きやすくなった理由はいくつか挙げられると思う。
また、インターネットの普及も大きいだろう。今日、どこの町の映画館で何を上映しているか、自分のパソコンからすぐに検索できる時代だ。現地で新聞を買ってこなくても、情報はいくらでも手に入れることが出来る。また、インターネット通販で、安く速く新作を観られるようになったし。


そんな時代に映画祭をやるというのは、本当に本当に大変だと思う。観客も集まりにくくなっているし。
それでも映画祭主催者のみなさんには頑張っていただけたらうれしい。やはり映画祭でしか観られない作品がまだあるから。「あー、これは公開はムリだよねえ」と思う作品に愛しさを感じられる(爆)のも、映画祭ならではのことだ。
大きい映画祭に負けるな!