晴耕雨読日記(仮)

以前、はてなダイアリーで書いていた「晴耕雨読」の引っ越し先です。今の生活は全くもって「晴耕雨読」ではないので、タイトルは現在思案中。

鵞鑾鼻−台湾最南端

午前中、海を堪能したのはいいのですが、やはりうっすらと日焼けしている模様。
何週間か前に、山梨にひまわりを見に行ったときに日焼けしてついた腕時計のあとを消すチャンス!ということで、腕時計をはずして積極的に日焼けすることにしました(とはいえ、一応日焼け止めローションは塗っておく)。
直射日光の下にいると、いくらパラソルの下とはいえかなり体力を消耗するので、部屋に戻ってちょっとお昼寝。午後になって、鵞鑾鼻へと向かいます。


鵞鑾鼻は台湾最南端の岬。生まれ育った環境のせいか、どうも私は境界とか最○端というのを聞くと出かけていきたくなります。
ホテルの前のバス停で、バスが来るのを待ちますが、どうも来ない。そうこうしているうちに白タクのおにいさんが寄ってくるのでうっとうしいなあと思っていたら、タクシーの姿が見えたので、旦那さんが手をあげると止まってくれました。
なぜかタクシーには先客が2人いたのだけど、鵞鑾鼻までなら相乗りして行きな、という話になったらしい。で、すいませんねえ、と言いつつ我々は乗り込んだのですが、白タクのおにいさんとタクシーの運ちゃんはしばし言い争いをしていました。たぶん、「俺の客横取りすんな!」とか言っていたんだと思うけど、そりゃ、正規のタクシー運転手の方が強いよね。


タクシーの運転席にある運転手の免許証みたいなのを見ると、このタクシーは高雄のタクシーらしい。え、あなたたち高雄からこのタクシーに乗ってきたの〜?
先客はまだ若い二人の女性。「コンニチワ」と日本語で言われたので、「彼(うちの旦那さん)は中国語が話せます」とたどたどしく中国語で旦那さんに話を振り、彼が「ちょっとだけね」と言ったところ、彼女たちがげらげら笑っている。なんで笑ってるの?と聞いたところ、「大陸の中国語だ〜!」と笑われたらしい。卒業旅行か何かでタクシーを借り上げてきたみたいだけど、豪気だなあ。
我々は鵞鑾鼻で下ろしてもらいましたが、彼女たちは鵞鑾鼻は通過するみたいで、どこかへ行ってしまいました。


鵞鑾鼻公園の中に入り、なだらかな丘を歩いて上がると、石碑が。この「鵞鑾鼻」の三文字は王羲之の筆跡を組み合わせたもの、と中文版Wikipediaにありました。


台湾最南端ー鵞鑾鼻2


「台湾八景」とありますが、これは日本統治時代の「台湾八景」のようです。今、「台湾八景」で検索すると台北101とかが出てきちゃうのですが、現在の「台湾八景」では残念ながら鵞鑾鼻は含まれません。
でも、台湾八景と言われるにふさわしい景色だと思います。青い空に青い海に、そして燈台。


台湾最南端ー鵞鑾鼻3


青空をバックに真っ白な灯台が美しい。ここは現役の灯台なので、一般公開はされていますが職員事務所もあり、働いている人影もちょっと見えました。


台湾最南端ー鵞鑾鼻5 台湾最南端ー鵞鑾鼻4


日本だと灯台の管轄は国土交通省海上保安庁じゃないかと思われますが、台湾では税関とセットになっているらしく、財政部の管轄なのでした。こんなところもなんとなく興味深かったりする。


灯台をゆっくりと見学した後、本当は海まで下りていきたかったのですが、少し前に来た台風のせいで通路が壊れてしまったらしく立ち入り禁止になっていたため、断念。バシー海峡を臨む、滄海亭という四阿へ向かいます。


鵞鑾鼻〜台灣最南端


バシー海峡をのぞむ。海の向こうはフィリピン。
と書いてしまうと簡単だけど、「このままずーっと行くと、別の文化を持つ土地がある」というのは不思議な感覚です。
海だけ見ていると、何もないだだっぴろい水面なんですけど。
海の近くに行くと、私はいつもこの水平線の向こうにあるものを想像します。花蓮では、この先は沖縄なんだなあと思い、高雄から来る途中の海では、この先は福建省なんだなあと思う。日本でも同じように考えます。犬吠埼では、この先は小笠原でグアムなんだろうけど遠すぎるなあ、とか。
陸路と海路ではちょっと感覚が異なります。西安の大雁塔に登ったときに、ガイドさんが眼下にまっすぐ伸びる道を指さして、「この道をずっと行くとローマに着きます」と言われたのだけども、その時はなるほどね、と腑に落ちました。道は必ずどこかにたどり着く。もちろん、簡単なことではないけれども、つながっているという感覚は強い。JTBでもユーラシア大陸横断ツアーとかを扱っているくらいだし。
でも、海路となると地図上つながっているとはいえ、条件ははるかに厳しい気がする。海の向こうに行こうとした人たちは勇気あると思う。
海は美しくて、同時に恐ろしい。水は人間にやさしいだけの物質ではない。