晴耕雨読日記(仮)

以前、はてなダイアリーで書いていた「晴耕雨読」の引っ越し先です。今の生活は全くもって「晴耕雨読」ではないので、タイトルは現在思案中。

ホウ・シャオシェン映画祭「HHH:侯孝賢」@シネマヴェーラ渋谷

本日の映画は「HHH:侯孝賢」(91分)。goo映画の解説によると《フランスのテレビ・シリーズ「我らの時代の映画作家」の一編》とのことだが、クレジットに台湾の公共電視が入っていた。共同制作かな?だとしたら、台湾でDVD出ないかしらん。公共電視は自社作品のDVDを出しているので、次回台湾に行ったときには探してみよう。
現在日本では、こうして映画祭でかからない限り観ることが出来ない、貴重なドキュメンタリー。1997年の作品で、フィルモグラフィー的には「憂鬱な楽園」と「フラワーズ・オブ・シャンハイ」の間のころに撮影されている。


前回観たのはいつだったかは忘れてしまった。前にも書いた陳國富が泣くシーン(号泣はしてませんでしたね、記憶っていいかげん)がやたらに記憶に残っていた以外は、最後がカラオケで終わるということくらいしか覚えていなかったのですが、今回こうしてもう一度観ると、いろいろとおもしろかった。


1997年は戒厳令解除から10年後にあたり、まだ「ちょっと前の話」であり、記憶も生々しかったのだろう。彼の口から語られる「ちょっと前の台湾の話」は今ではなかなか聞けない話だったように思う。「悲情城市」を撮ったときのこと、公開前と公開後の反響のことなどなど。


また、本省人外省人と一口に言うけれども、同じ外省人でも台湾に長居をする気はなかった侯孝賢の父母と、朱天文の父母では家のあり方も異なっていたこと。そもそも南部の悪ガキだった侯孝賢と、文筆家の両親を持ついいとこのお嬢さんの朱天文が、会ってすぐに意気投合したというのも奇跡のような話であり、でも台湾ならありそうな話だったり。


台湾では中国大陸の映画の上映が禁止されていたので、ある時香港で中国映画を観た話。一緒に観た台湾の映画人たちはみんな感動していた、それは映画そのものにではなく、そこに映し出された「中国」というものに故郷を観たような気持ちになってのことだったという話。国民党支配下の台湾では、台湾の近代史にはまったく触れられず、教えられるのは大陸中国の歴史であったこと。それが画面ににじみ出ていて、まるで故郷を観たかのようにみなは感動していたが、そのまったく触れられない、台湾の近代史について描きたいと思うようになったこと。


ものすごく、興味深かったです。前日に「Metro Lumiere」を観ていたので、続きで観てよけいにおもしろかったのかもしれない。「HHH」から「Metro Lumiere」までの間で、侯孝賢のスタンスはぶれていないんだな、とかいろいろ観ていて思いました。
あと、「Metro Lumiere」で、彼が映画を撮るときに記録を取るノートとして「国語作業簿」という名前の小学生の国語のノートが画面に出ていたのだけど、「HHH」においてもやっぱり国語作業簿が映っていて、この人にとって国語作業簿はなくてはならない道具なんだなあということがわかったのもなんとなくおもしろかった。