晴耕雨読日記(仮)

以前、はてなダイアリーで書いていた「晴耕雨読」の引っ越し先です。今の生活は全くもって「晴耕雨読」ではないので、タイトルは現在思案中。

是枝裕和(監督)×森達也(監督)「もう一つの教育」/「1999年のよだかの星」



テレビのドキュメンタリー番組が好きだ。
なぜ好きなんだろう?と考えてみると、子供の時に見ていたテレビ番組の影響じゃないかなと思う。


小学生の頃、アニメももちろんよく見ていたのだけど、NHK特集とか、「新日本紀行」とか「素晴らしき世界旅行」とか「兼高かおる世界の旅」とか、そういう番組が大好きだったのだ。特に、小学校高学年の頃放映されていたNHK特集シルクロードは夢中になって観た。NHK出版から出ていたシルクロードのシリーズ本も図書室で借りて読んでいた。特に第六巻の「民族の十字路 イリ・カシュガル」は何度も繰り返し借りた覚えがある。そのせいか、「民族の十字路」と聞いてすぐに思いつくのはカシュガルだ。


大人になってからは、フジテレビで深夜にやっている「NONFIX」をよく観ていた。以前はシフト勤務で、午後出勤の日は遅くまで起きていたので、フジテレビの深夜番組はいろいろと観たものだが、ついつい観てしまうのがNONFIX。昼間だったらあまり扱わないだろう題材だったり、ちょっとトーンの違う内容が多くて、結構好きだった。


そのNONFIXで映画監督の二人が撮った監督作品2本が今日上映された。是枝裕和の「もう一つの教育」と森達也の「1999年のよだかの星」。


「もう一つの教育」は、長野県の伊那小学校の子供たちが総合学習の題材として牛を飼う話。
撮影されたのは昭和63年から2年間で、その間に3年生だった子供たちは5年生になった。キープ牧場から借りてきたジャージー牛の子牛のローラを乳しぼりができるようになるまで育てたい、というのが子供たちの希望。牛小屋を建てるところから始まり、えさ代の計算、ローラの世話、干草を作るための草刈り、えさ代を稼ぐために牛糞を使ってとうもろこしを作り、それを直売(父兄に)……と、子供たちが先生の助けを得ながらも自力で酪農(?)に邁進する2年間を追ったものだった。


小学校に生活科が導入され、現場の先生たちが事例を求めて伊那小学校に押し寄せる中、子供たちは地道にローラの世話を続ける。その間、ローラは初潮を迎え、妊娠し、早産となり、出産した子牛は死んでしまう。性に敏感な年頃に、生命はどうやって生まれて、意図せず命を失うこともあることを子供たちは知る。子牛はもう死んでしまったのに、乳は出ることを悲しいと思い、しかし、絞りたての牛乳はうまいとも感じる矛盾を知る。そういった子供の成長を冷静な視線で淡々と画面に映し出していく。


ゆとり教育総合学習だと簡単に言うけど、現場の先生は大変だー。でも、やりがいのある仕事だなあ。小学校教師。


観終わった後に心に暖かいものが残る一品であった。


引き続き、「1999年のよだかの星」。よだかの星、とくれば宮沢賢治。「もう一つの教育」のあとだったし、そういう牧歌的な作品かと思っていたら、なんと。


動物実験の話でした。


画面の最初のへんはかなりキツイんですが(流出した動物実験ビデオとかが流れて)、この作品は主義主張を感じさせない、そこにある矛盾を矛盾のまま映し出しているもので、見終わった後いろいろ考えさせられました。


動物がかわいそうだ、といって動物実験全面反対の市民団体。
医薬品の開発のために動物実験を行う学者。
特効薬の開発に期待を抱く、筋ジストロフィー症の子をもつ親。
「頑張れるだけ頑張る」と静かな表情で語る筋ジストロフィー症で寝たきりの青年。
何ら恥じることはしていない、と取材に応じた動物実験のための器具を販売している会社の社長。


そんな人々が画面に順番に出てくる。
画面に出てくる人たちは、自分たちの行っていることを恥じてはいない。でも、動物実験には反対しても、化粧はちゃんとしている。身に付けているものに、動物実験が必要なものもたくさんある。
その一方で取材を拒否する人たちもいる。おそらくは製薬会社や化粧品会社など、動物実験が必要なものを作っているメーカーの担当者たち(社名はわからない)。


どちらが正しいとか、間違っているとか、こうあるべきだとか、そういうことはいっさい主張しない。
ただ、そこにある事象が淡々と映し出されていく。


重いテーマなのに、飄々としている作品でした。