晴耕雨読日記(仮)

以前、はてなダイアリーで書いていた「晴耕雨読」の引っ越し先です。今の生活は全くもって「晴耕雨読」ではないので、タイトルは現在思案中。

光の色

お昼時に会議がふたつ続いて、お昼休みに出るのが遅くなった。2時前にようやく外に出て、食事を済ませる。ちょっとだらっとしたかったので、ランチに珈琲をつけて本を読みながら神経を弛緩させる。先週遊びすぎたせいか、今週は気の張る出来事が多い。
2時半ごろ、さて会社に戻りますかね、と店を出て大通りを歩いていて、ああ本当に秋だなあ、と思った。11月1日になって今さらの感想ではあるが、日の光が秋の色だったのだ。


このごろ、季節を感じるのは日の光の色であることが多いような気がする。以前は咲く花やその香り、虫の音などが気にかかっていたものだが、最近は光の色で気がつく。ぱっと光の色を感じた時に、自分の記憶のデータベースが検索されて、同じような色の光を見た記憶が蘇ってくるのだ。今日は、子どもの頃によく見た稲刈りが終わった頃の田んぼの風景を思い出した。同じような光を、その田んぼでよく見ていたのだ。


今はどうだか知らないが、私が生まれ育ったところは家が集まっている集落の周囲はずーーーっと田んぼだった。小学校は家から2キロ離れたところにあったので、毎日毎日登下校は田んぼのそばを歩いていく。稲刈りが終わって、翌年田植えのために田が鋤かれるまでの半年近く、田んぼは子どもたちの遊び場だった。特にうちの近所は公園などというこじゃれたものはなく、空き地か田んぼが私たちのホームグラウンドだった。どこの家の田んぼであろうと、子どもたちが遊びまくって怒られることはなかった。籾を取った後のわらも田んぼには放置されているので、走り回って遊んでもけがをすることはまずなかった。
特に、稲刈りが終わってすぐの頃の田んぼは、稲わらのいい香りがして、まだ寒くもなく、心躍る遊び場だった。これからしばらくは田んぼで遊べる。そんな高揚感を胸に田んぼを前にしたときの日の光は、ちょうど今日の3時前頃の光と同じ色をしていたように思う。


ふだん、この時間帯の光の色を見ることはないので、会社へ戻る帰り道、いろいろと子どもの頃のことを思い出してしまいました。