晴耕雨読日記(仮)

以前、はてなダイアリーで書いていた「晴耕雨読」の引っ越し先です。今の生活は全くもって「晴耕雨読」ではないので、タイトルは現在思案中。

喪の仕事

叔父の葬儀に行ってきた。


病気が見つかってから、本当に日に日に悪くなっていったらしい。叔母曰く「一日一日体力がなくなっていくのが、目に見えるようだった」。男性の平均寿命もどんどん伸びて78歳、80に手が届こうかというこのご時世に67歳での死は、「まだ若いのに」と思ってしまう。少なくとも定年からまだ10年も経っていない。叔父はもっと遊びたかったと思う。


そもそも、叔父はうちの母親と知り合う方が早かったらしい。母と友達になって、その縁で母の妹である叔母を知って、叔母をかき口説いたのだそうだ。そんななれそめがあったからかどうか、叔父は妻の姉の子どもである私たち姉妹のことも可愛がってくれたように思う。
大学受験で東京に来た帰り、せっかく遠くまで来たから遊びに行ってもいい?といきなり電話をしてきた姪を迎えてくれて、あちこち遊びに連れて行ってくれたりした。そういえば、「前祝いだ」と言ってお酒を飲ませてくれたのもこの人だったな。


晩年、訳あって私は叔父と長らく連絡が取れなかった。私たちの間にはわだかまりはなく、叔父と仲違いをしていたわけではないのだけど、もう何年も話をしていなかった。今になって、もっと連絡しておけばよかった、と思う。いつもこうやって後悔する。進歩がない。おじさんは今頃「しょーがねーなー、おまえはよー」と笑っているかもしれない。


ところで。
通夜の会場に行ってみたら、叔父はもう火葬されたあとだった。
祭壇の、棺が置かれるべきところには何もなく、中央に骨壺が置かれていた。不謹慎かもしれないが、ちょっと肩すかしを食らったような……。拍子抜けしてしまった。


思うに、普段から顔を合わせている、というような間柄ではない場合、「亡くなりました」というだけでは、その死が実感できないように思える。棺に横たえられた「変わり果てた姿」を見た時に、悲しむという動作へのスイッチが入り、涙腺から涙が出てくる仕組みになっているのかなあ、と。


あれが叔父さんです、と言われても実感できないのであった。ただ、舞台装置としてはそこは紛れもなく「通夜の場」であったので、みんな厳粛な面もちをしていたが、泣き声の聞こえない通夜だった。


叔父は陽気な人で、いるだけで場がぱあっと明るくなるような人だった。だから、かもしれないね。みんな陽気に送ってやろうと思っていたのかも。


いつも陽気で、お酒が好きで、ゴルフが好きで、魚料理が得意で、言葉はちょっと荒っぽかったけど心優しかった叔父さんの魂が、安らかに天に昇っていくことを祈る。