晴耕雨読日記(仮)

以前、はてなダイアリーで書いていた「晴耕雨読」の引っ越し先です。今の生活は全くもって「晴耕雨読」ではないので、タイトルは現在思案中。

「遠い道のり」

上映前に舞台挨拶、上映後にティーチイン、しかも両方とも監督と主演の役者2名。なんだか豪華。
最近台湾映画ではやりの題材、台湾東海岸で自分探しの映画。と書いてしまうとつまらない映画のように思うけど、つまらなくはありませんでした。手放しで素晴らしかった、とも言いませんが。


主要登場人物は3人。長くつきあっていた彼女と急に別れることになってしまった録音技師の青年、会社の上司と不倫の関係にあったOL、そして妻と別居中の精神科医。3人に共通しているのはパートナーと別れたこと。


別れにつきまとう喪失感、欠如感、それを埋めようとする渇望、そういうような感情を何度か経てきた身として、別れることはつらいんだよね、としみじみと思う反面、私はもうこんなにも泣けないかもしれない、などと感じてしまい、ちょっと自分にとまどう。「花蓮の夏」の日本版公式ホームページに監督のコメントとして、若さを失って撮れなくなる前に撮っておきたかった題材、というようなのがあったのだけど、若い頃と同じような感受性を何十年も持ち続けることは至難の業だ。そして私はもう失ってしまったんだなあと今更ながら感じた次第。
映画の出来だとかそういうことよりも、自分はもうこんなに手放しでは泣けないなあ、最後にあんなにわんわん泣いたのはいつだったろうか、などと自分のことばかり考えてしまった。年なのか?
それと、若者二人はたぶん思い詰めて泣いて、でも立ち直って次の恋に進んでいくんだろうけど、あの精神科医は救われるんだろうか、あの足ひれをぱたぱた音をさせてどこまで歩いていかなければならないのか、が気になる。若い人はいいのだ、次があるから。だけど彼は。


ティーチインでは時間が足りず聞けなかったが、もし時間があったら聞きたかったこと。
なぜ、最近の台湾映画は自分探しは東海岸、なのか?
環島(台湾一周)が台湾でブームになっているという記事を少し前の「誠品好讀」で読んだが、この映画は正確には環島はしていない。ただ、東海岸が舞台なのは確か。これまで私が観た映画で、「飛び魚を待ちながら」「単車上路」「練習曲」そしてこの「遠い道のり」、なぜみんな東海岸なのだろう。
台湾映画人を東海岸に呼ぶものがなんなのか、ちょっと聞いてみたかった。


そして、グイ・ルンメイは本当にきれいになったです。
7年前、東京国際映画祭にやってきたモンちゃんは、ざんばら頭でちょっと粗っぽかったのに、なんだかすっかりいいお嬢さんになって〜……とおばちゃん入ってしまいました(笑)。これもレオン・ダイのせい(おかげ?)なのだろうか。