晴耕雨読日記(仮)

以前、はてなダイアリーで書いていた「晴耕雨読」の引っ越し先です。今の生活は全くもって「晴耕雨読」ではないので、タイトルは現在思案中。

毛糸を買う

今日は「宇宙堂」改め「オフィス300」の芝居で吉祥寺。開演前にあまり時間はなかったのだけど、ユザワヤへ行ってみた。
編み物好きには「ユザワヤ」と言うのはちょっと甘美な響きがあるのだ。


私の現実逃避の一つとして、「ニット作家になりたい……」というのがありますが、それで食っていけるなら真剣にそうしたい。あ、でもひと様に売るほどのものは作れない(笑)。「とじ」とか「はぎ」とかの処理はかなりいいかげんなんで、自分や家族のものしか作れないんだった。じゃ、無理か。


編み物が好き、とかいうと「家庭的」とか「意外と女らしい趣味」とか言われるのが嫌い(しかも「意外と」はよけいじゃ)。
料理が好きというと相手の男の目が輝くのがイヤだという友達もいたけど、料理とか手芸とかに女らしさを求める考え方がどうもイヤ。料理とか手芸に対して夢見すぎ。北欧だとかシェットランドとかじゃ、編み物は漁師のおじさんの得意技なのに。日本だって広瀬光治先生を見よ(あの方はフェミニンな感じがするが、水産会社に勤めていて漁師のおっさんたちに日本酒を仕込まれたという人らしい)。
最近の編み物関連の本は、完全に若い女の子たちにターゲットをしぼっていて、そういうのも手芸=女子の趣味、みたいな風潮を作っているんだろうなあと思う。私は母方の叔父の仕事が家でミシンを踏むこと(洋裁)だったので、ミシンだの毛糸だのに女子っぽさをあんまり嗅ぎ取らないんだけど、どうも世間にはあまり通用しない考えらしい。料理だって、少なくともわが家の場合どう考えても私よりは旦那さんのほうがうまいし。調味料の使い方の幅が私の3倍ぐらいある人だから。


私が編み物が好きな理由は、たぶんストレス発散。だって達成感があるし。仕事じゃなかなか味わえないからなあ(爆)。1時間集中して編んだら、ここまで編めた〜とか、そういうわかりやすい達成感がたまりません。
あと、道具がわりと少ないことも理由の一つかも。1本の糸を1本のかぎ針(または2本の編み棒)でせこせこ編んでいけば何かができる、というのも気に入っている理由かもしれません。編んでいる最中はあまりよけいなことを考えないし(かなり編み目に集中しています。間違えないように)、そういう頭が空っぽになるというのも座禅のような効果があるのかも(←ほんとか?)。


ただ、ここ数年ひとつのものに集中するということが少しずつ難しくなってきたというか、端的に言うと飽きっぽくなってきました(笑)。なので、最近は2つか3つの作品を平行して編むことが多いです。今は、旦那さんのセーターと自分の会社用ひざかけとマフラーを平行製作中です。いちばん完成が近いと思われるのがひざかけですが、セーターも来年の成人の日ぐらいまでにはなんとかしたいなあ、と思っています。