晴耕雨読日記(仮)

以前、はてなダイアリーで書いていた「晴耕雨読」の引っ越し先です。今の生活は全くもって「晴耕雨読」ではないので、タイトルは現在思案中。

お彼岸なので

日帰り帰省してみた。
母にとっては初めてのお彼岸、「あの子たち、ちゃんとやってくれるのかしら……」と不安に思っていることでしょう。ええ、ちゃんとやりましたとも。文字通り、汗水たらしました。すっごい暑かったから。
このところすっかり秋の冷え込みが続く東京からやってきた私をあざ笑うかのごとく照りつける太陽……暑いっちゅうねん。


東京に暮らすようになってからお彼岸に帰省することなどないので、実家のお彼岸は20年ぶり?くらいかも。うーん、今でもこの辺の人たちはちゃんとお墓参りするんだなあ。結構な人出。
うちのお墓は小さい山の斜面に広がっているんだけど、墓参を終えて振り返ったら山全体が墓参の花に彩られて、とても綺麗だった。
うちのは、柴と菊、リンドウ。リンドウの青がきりっとしていて、すがすがしい。でもこれは私の趣味。母はもっとかわいいイメージの花がすきでした。


実家の近所にある農協の直販所に行くと、母のお友達が売り子にいらして、おはぎをいただく。というか、ここに来るとほかのおばちゃんたちにも「これ、お母さんにお供えして」とよくものをいただいてしまう。うーん、ありがたいやら申し訳ないやら。
お墓に持って行くとアリがたかってあとで大変なので、仏壇に供えさせていただきました。きっと母も喜んでいることでしょう。


1ヶ月ぶりに帰ったわけですが、まだ母がいる感じがしてならない。頭ではもう死んでしまったのだとわかっているのだけど、家の中は母がいた痕跡が多すぎて、いないほうがなんとなく違和感がある感じ。母が使っていたベッドの枕のへこみとか、つい最近まで母がここで横になっていたんだなあ、などと思ってしまう。
母が最後に家で過ごした時は私も一緒に帰ったのだけど、あれから4ヶ月も経っていない。母の気配が残っていても不思議はない。6月、少し残ってしまったちらし寿司を「次に帰ってきたときに食べるから」と言って、母はフリージング容器に入れて冷凍庫にしまった。あの時、母は自分の先の日々のことをどう思っていたのだろう。もう知るよしもないけれど。
そんな風に母の手がかかった物が家中に満ちあふれていて、物はどうしても記憶とか気配がついてまわる気がする。


帰ったときは「ただいま」、また家を出るときは「行ってきます」とか「また来るね」と声に出して言い、返事がないことにさみしさを感じてしまう。
まだ、私には時間が必要みたいだ。