晴耕雨読日記(仮)

以前、はてなダイアリーで書いていた「晴耕雨読」の引っ越し先です。今の生活は全くもって「晴耕雨読」ではないので、タイトルは現在思案中。

崔健Live in Japan

「中国ロックの父」というのが崔健について語られるときに頭につくことが多いけど、「父」っていうとなんか偉大なひとという感じで、崔健本人はそんな扱いされたくないんじゃないのかなー、なんて思う。

80年代半ばから中華系音楽を聴くようになって、彼の名前も聞くようになったけど、当時の私はどちらかというと香港ポップス一辺倒だったため、一通りさらっと聞いてはいたものの、熱心なリスナーだったわけではない。
うあ、この人かっこいい!と思ったのは、「飛了」を聞いたときです。

最初に見たのはフジテレビで深夜にやってた「アジアNビート」という音楽番組。ベストテン形式で音楽クリップを見せていく(あの順位ってどうやって決めてたんだろう)番組で、対象が「アジア」というものすごい大雑把なくくりだったため、韓国・中国・香港・台湾はもちろんシンガポールやマレーシア、タイポップスも入ってきてなんでもあり、の楽しさがあった。司会はいまやおなじみのユースケ・サンタマリアと韓国の女性グループSOS。(余談だが、「ぷっすま」のユースケ・サンタマリアが「アジアNビート」のノリに一番近い気がする)

で、その番組で「飛了」のPVを見たわけです。結構衝撃だった。私の中ではいまだベスト・オブ・崔健です。映像も音楽も。なにより劉元のサックスがかっこよかった。崔健バンドといえば劉元、という刷り込みはこのときにできました。

そんなわけで、相方に「崔健来日ライブだよ!行く?」と聞かれたとき、真っ先に聞いたのは「劉元来る!?」だったわけですが(爆)、ステージの真ん中に崔健がいて、左に劉元、右に艾迪、のツートップを見たときは感慨深かった。日本で見られると思わなかったなあ。

30年ロックをやり続けている崔健。久しぶりに聞いて、いい意味でこの人は変わっていないなあと思った。初めて生で聞いた「飛了」は、劉元のラッパがすごくソリッドで、やっぱりかっこよかった。
最初聞いたときは「なんで川口リリアホール?」と思ったけど、終わってしまえばちょっと大きめのライブハウスで盛り上がっちゃいました、みたいな感じ。終わりよければすべてよし、か。
それにしても劉元のラッパはよかったよなあ。