晴耕雨読日記(仮)

以前、はてなダイアリーで書いていた「晴耕雨読」の引っ越し先です。今の生活は全くもって「晴耕雨読」ではないので、タイトルは現在思案中。

かつて、8月といえば戦争について思いを寄せていたのだけど。

戦争が、遠くなったなと思う。


もちろん私は戦争を知らない子供たちの一人なんですが、以前は8月ともなればもっと戦争について新聞やテレビが取り上げていましたよね?
まあ、今年はあの震災の年でもあり、もう60年以上も前に終わった戦争のことなんて知ったこっちゃないのかもしれないけど、こうして風化していくんだろう、たぶん。


私は自分の誕生日が長崎に原爆が落ちた日で、さらに生まれ育った場所が広島と長崎の間にあり、母親は戦時中は満州で生まれて引き揚げの苦労を味わった人、ということもあって、毎年この時期になると先の大戦についていろいろ考えることが多かった。
8月は西日本では旧盆の季節でもあり、私が子供だった頃(昭和40年代)は親戚にもまだ戦争の記憶が色濃くある人たちが多く、お盆に親戚が集まると戦争の話になることが多かった。どこどこのおじさんはルソン島だった、どこどこの兄さんは満州だった、あそこの家のおじさんはシベリア抑留で苦労したらしい……。おじさんたちはそういう話で盛り上がり、おばさんたちは台所で戦後の食糧難の話で盛り上がる。親戚の集まりから家に帰る途中、何軒か「英霊之家」という小さなプレートがついている家があり、ああこの家でも誰かが死んだんだ、と子供ながらに思っていた。


思えば、子供の頃の「お盆」は一大行事だった。うちは田舎でみんな一軒家に住んでいて、家には仏壇があって、仏壇には大きな盆提灯を飾っていた。夜の仏間は怖かったけど、回り灯籠の絵が流れていくのを見るのは好きだった。お盆になると親戚が集まって一緒にご飯を食べたりした。お盆が終わると一大イベントが終わった後の寂しさのようなものがあった。朝夕涼しくなって、ミンミンゼミがツクツクボーシにその座を明け渡し、夜になると遠くで虫の音が聞こえるようになって、ああ夏が終わるんだなあ、早く宿題やらなくちゃ。と思ったものだ。


今はお盆そのものがもう意義が薄いというか、お盆だからといって人が集まることもなく、お盆を過ぎても暑さは変わらない。戦争の頃のことを知っている人も少なくなった。
こうやってどんどん戦争は遠くなっていくのかな。
それって、いいことなんだろうか?


……という話を書いて、検索したら2年前にまったく同じような内容の日記を書いていたことが判明。まあいいや、このままのっけます。危機感を持っていることは変わらないわけだから。ほんと、大丈夫かな、この国。