晴耕雨読日記(仮)

以前、はてなダイアリーで書いていた「晴耕雨読」の引っ越し先です。今の生活は全くもって「晴耕雨読」ではないので、タイトルは現在思案中。

終戦記念日

いつだったか、新聞を読んでいたら、「最近の若い人には、日本がアメリカと戦争で戦ったことを知らない人がいる」だったか「広島・長崎に原爆を落としたのはアメリカだと知らない人がいる」だったか、なんかそういうことが出ていた。いくらなんでもそれはないんじゃ?と思うが、しかし、そうだったとしてもあんまり驚かないかも。だって、教えられていないだろうし。
たぶん、戦争のことを親や祖父母の世代に聞かされているのは、私ぐらいの年かちょっと下くらいまでなのではないでしょうか。その我々が次の世代につないでいかなければ若い人たちが知らないのは当たり前だと思う。そして、我々は思いっきりバブルの世代で、20代、30代と消費生活に忙しく、そんな役割はちっとも意識していなかったんじゃないだろうか。


私の母は戦時中に満州で生まれた。引き揚げの時の苦労話は繰り返し聞かされた。そういう友達はたくさんいた。


うちの近所の家には、玄関の表札のすぐそばに「英霊の家」という金属札が貼ってある家が多かった。どうして私の家にはあれがないの?といつも思っていた。でも、老朽化した家は次々と建て替えられて、新築の家に「英霊の家」の表示はなくなっていた。


夏になれば、広島や長崎の原爆の話を学校で習う。下関という立地上、広島で被爆した人、長崎で被爆した人というのは身近にいた。本当なら、軍事的な拠点であった小倉が候補地だったのだが、天候のせいで視界が悪くて長崎に変更になったのだという。もし、天気がよかったら、小倉に落ちていたら、という話を先生にされて怖くなった。


そういうことをどこかで残しておかなければならないんじゃないかなと思ったりした。