晴耕雨読日記(仮)

以前、はてなダイアリーで書いていた「晴耕雨読」の引っ越し先です。今の生活は全くもって「晴耕雨読」ではないので、タイトルは現在思案中。

君の前に道はない、僕の後に…

最近、自分の人生についていろいろ考える。
広い野原の中の一本道に立ち止まって、後ろを振り返り、また前を見て道の先がどこに続いているのかを考えている感じ。


働くことがきらいとか、そういうわけではないのだけど、いつまで働くんだろう、とか思ったりする。
20代の頃からこつこつと自分の仕事を積み上げてきた友人たちの最近の仕事ぶりなど見ていると、ちょっとうらやましかったりもする。
また、これから自分の道を行こうとするうちの旦那さんを見ていてもうらやましかったりする。


20代の頃、天職だと思っていた仕事があった。
自分の時間をすべて注ぎ込んで、仕事に邁進した。
これは大げさな言い方でもなんでもないと、今でも思う。当時の私は寝ても覚めても仕事のことしか考えていなかったし、どうすればもっといい仕事ができるか考えていた。考えるだけでなく勉強も死ぬほどした。勉強したことがすぐに自分の役に立ち、さらに仕事の場でも勉強ができることに驚き、感動し、ばかみたいに勉強していた。自分の一生の中で、あの数年ほど勉強した時期はない。学生時代よりよっぽど勉強していた(笑)。


ただ、そうやって生活の全てを注ぎ込んだあげく、燃え尽きてしまったのも事実だ。その仕事をしていた最後の2年間くらいは、行き詰まりを感じて「辞め時」を探していた。そんな状態でもそれまでの蓄積があるから、仕事はできる。かなりの水準で。そんな生活に嫌気もさしていた。


いろいろあって、転職することができた。新しい仕事は自分にはあまり向いていなかったけど、それはそれでよかった。「仕事がすべて」みたいな人生を辞めたいと思っていたし、前の仕事で力を出し尽くした、やりきった、と思っていて、そういう気持ちを味わえたことに満足もしていた。


その後また転職して、今の会社に入ってからこの間満9年になった。10年目に入って、年齢的にも大台に上がって、またいろいろと考えるようになった。


正直なところ、今の会社で出世したいかというとそうでもない。この会社の中のパワーゲームに参加したいとは思っていない。というか、はっきり言えば出世はしたくない(笑)。
じゃあ、何をしたいと思っているのかというと、具体的なものがあるわけではない。
こういう気持ちって、20代のころに味わうものかと思ったのだけど、中年といわれる年齢になった今、感じることになるとは思ってもみなかった。


今から15年くらい前、子ども嫌いを明言していた友だちが突然「子どもを作る」と言い出したことがある。「どうして?」と聞くと、彼女はこう言った。


「今から頑張っても、歴史に名前を残せるわけじゃない。
でも、私は自分がこの世にいたことの証を残したい。
だから、子どもを産む」


なんじゃそれ、と思った。そんな論理あるのか?とも思った。
でも、今、そのときの彼女の気持ちがなんとなくわかる気がする。
別に歴史に名前を残したいと思っているとか、熱烈に子どもがほしくなったとか、そういうわけじゃないんだけど。
同じ事を考えているわけじゃないんだけど、彼女の焦燥感みたいなものは、理解できるような気がするのだ。


これからあと40年、どうやって生きようか。
気がつくと、そんなことばっかり考えている今日この頃。